« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »

2006年2月

2006/02/26

わら筆の書の紹介

今日は、父が書いた、わら筆の書を紹介したいと思います。

030817_6860

030817_6888

以前展示会をやった時、このわら筆の書に驚いておられた方がいました。

私は書に関して詳しくないですが、あまり他にはない、珍しい書の表現なんだろうと思います。

父がこれらの書を制作したのは、3年程前だったと思います。わら筆による線の微妙な美しさが、独特な風情を醸し出しています。

050821_3189

↑わら筆。稲の茎を干して作られたものです。

画像を拡大したらわかると思いますが、筆先にお米のもみがらがついています。

ある方が、百貨店で販売しているのを見つけて、「面白いものがありましたよ」と父のところに持ってきてくれました。

江戸時代に堺の河内長野にいた、慈雲(じうん)尊者という、真言宗のお坊さんが愛用していた筆を復元したものです。

この筆を使う時は、お米のいのちと太陽と大地のいのちを強く意識して書くようにしているそうです。大地の恵みに感謝して、ということですね。

筆を持つ感触が、他の筆と全く違って、書道をやっているというより、絵を描いているような感覚だ、と言ってましたね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/24

ゴーギャンの人生

大阪の中之島で開催されている「プーシキン美術館展」に、先日行ってきました。

二人のロシア人実業家が集めた、ルノワール、モネ、ゴッホ、セザンヌ、マティス、ピカソといった、近代絵画のコレクションが展示されていましたが、その中にゴーギャンの絵が2点ありました。

その内一点は、タヒチの神話の、神にみそめられて女神となった女性を描いた絵でした。エジプトの壁画風に描いたものだそうですが、彼の作品は色彩感覚といい、独特ですね。

私は、それほど彼の絵が好きなわけでもないですが、その絵を見ていて、35歳という遅さで画家に転身し、55歳の若さで南太平洋の未開の島で亡くなった、彼の人生に思いが馳せました。

彼は元々株式の仲買人で、その前は船員や海軍水兵でした。タヒチへやってきたのは、虚偽に満ちた文明社会を嫌い、原始的な生活の中にこそ、真実があると思ったからでした。実際は、タヒチはすっかり植民地化されていて、そこでの生活は苦しく、彼が思い描いていたような楽園ではなかったわけですけどね。

ゴーギャンは、タヒチの神々や東洋の輪廻の思想に関心を持っていたようです。

「もし我々が、この世に生まれてくることによって始まるのでないとすると、仏教徒のように、我々は常に存在してきたのだと信ぜざるをえなくなる」という言葉、或いは、かつて共同生活をおくったゴッホの訃報に際しての、「彼は今まさに、この世でなした善行の成果を携え、一つの生に戻ってゆくのだろう(ブッダの教えによれば)」といった言葉からは、彼の中に、そういった宗教観があったことがうかがわれます。

彼の代表作に、「われわれはどこから来たのか、われわれは何者か、われわれはどこに行くのか」という大作があります。(確かNHKの何かの番組のオープニングに使われていると思います)彼が安定した生活を捨てて、貧困と苦難の画家の人生を選択せずにはいられなかったのは、心の底にあったこの問いかけに、突き動かされてのことだったのかも知れませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/17

五井昌久先生の短歌:庭の紅梅

今年は、寒かったせいで、梅の開花が全国的に遅れているらしいですね。

私は、梅の花を見て楽しむような、いわゆる「風情」というものを全く持ちあわせていない人間なので、桜の花見には行っても、梅の花見に行くなんてことは、あまり(というか全く)ないですね。

そんな風流のない私ですが、先日、五井昌久先生の歌集「夜半の祈り」に収録されている、庭の紅梅を詠んだ歌を読み、なんだか今年は無性に、梅の花を見に行きたくなりました。

10首掲載されている内から、数首紹介させていただきます。

厳冬を耐えきて庭に咲き匂ふ紅梅の花のいのちいとしむ

紅梅のここにも咲けり天地(あめつち)の美(は)しきみ心庭に充ちおり

もの言ふがに蕾(つぼみ)ふくらむ紅梅のいのちの奥にふれて我が佇つ

肩すぼめ歩みこし人も背を伸ばし暫くはみる庭の紅梅

その時の、庭に咲きぼこる紅梅の美しい情景と、それを愛でる人たちの姿が眼に浮かぶようです。五井先生の歌は読むと、心が洗われ清々しい気分になりますね。

昭和46~48年頃の作で、場所はおそらく市川の聖ヶ丘道場の昱修庵の庭だと思います。

本の最期に、五井先生は昭和46、7年頃は、まだ各地に講演会などに出向いておられたのが、昭和48年から亡くなられる昭和55年までは、ずっと昱修庵にこもられていたと書かれていました。この歌を詠まれた頃は、まだお体の方はきつくなかったかもしれませんが、そういうことを思うと、この歌がより一層心に響いてきます。

私が先生らしいな、と思ったのは

インドシナの戦火つづけり咲き匂ふ紅梅の庭に我が佇(た)てる間も

という歌。

五井先生の歌は、世界情勢を詠まれた歌というのが多いですね。

「私は叙情的な歌のほうが好きなんだけども、時局の歌を書かないではいられないんだ」と語っておられた先生の言葉が思い出されました。

当ブログの左サイドでおすすめの本として、この「夜半の祈り 五井昌久歌集」を紹介していますが、まだ、全部読みきれていません。

330首も掲載されていて、こういう分野に疎い私には一挙に読めるものではないので、少しづつじっくりと味わいながら読んでいこうと思っているところです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/14

迷宮美術館:ゴッホを世に出した女性

BS2の迷宮美術館で、ゴッホの弟テオの奥さんで、ゴッホを世界的な巨匠にした、ヨハンナの人生が紹介されていました。

ゴッホが悲劇的な最期を遂げ、彼の才能を信じて支えつづけたテオが、その半年後に亡くなってから、このような物語があったのかと感動して、やたら泣けました。

夫のテオが亡くなってから、残されたゴッホとテオの膨大な数の手紙のやりとりを読み、ヨハンナは夫の意志を継ぎ、生前一点(!)しか売れなかったゴッホの絵を世に出し、正当な評価を受けるようにすることを決意。

パリからオランダへ帰る際、周囲から、費用も労力もかかるから、500点以上ものゴッホの絵を処分するように言われたそうですが、ほとんどを持ち帰ったそうです。

家に若い芸術家たちを呼んでゴッホの絵を見せたり、鑑賞会を開いたりして、徐々に人気が出始めても、作品が散逸するのを防ぐため、決して売るのを急がなかったそうです。

ゴッホとテオの書簡集の販売の依頼がきても、彼の作品が正当に評価されるより前に、彼の数奇な人生にばかり関心がいくことを心配して、販売を遅らせたんだとか。

やがてアムステルダムで大展覧会が開かれ、書簡集が出版され、ゴッホの絵画と彼の人生は、多くの人たちから、熱狂的に愛されるようになるわけです。

書簡集の冒頭にヨハンナは「二人(ゴッホとテオ)は生くるにも、死ぬるにも離れざりき」と書き、その言葉どおり、オランダにあったテオの墓を、オヴェールのゴッホの墓に移したそうです。

これまでゴッホとテオの間の強い絆で結ばれた兄弟愛しか知らなかったけれど、ヨハンナの、夫とゴッホに対する想いというのは、何かすごくジーンときましたね。

番組の前半で、セザンヌやルノアールを発掘し、世に出した画商アンブロワーズ・ヴォラールが紹介されていましたが、そこでゲストの326(何か懐かしい)が、「創る人間も重要だけど、それを広める人間、見抜く人間っていうのも、同じぐらい重要なんだと思いますね」とコメントしてました。本当にそうだナ~と思います。

いくら素晴らしい芸術を創っても、その作品の良さがわかり、それを広める人がいなきゃ駄目なんですね。私もテオとヨハンナをちょっとだけ見習って、親父さんの書の作品をこのブログで、もっと頻繁に紹介していくとしますか(^^ゞ

| | コメント (1) | トラックバック (0)

2006/02/13

河井寛次郎の陶器

先週と先々週の土曜日に、テレビ東京系列の番組「美の巨人達」で陶芸家の河井寛次郎さんをやってましたね。

河井寛次郎さんは、焼物なんかに全く関心がなかった私が最初に好きになった陶芸家。

番組を見て、京都五条坂にある河井寛次郎記念館(元寛次郎さんの住居&仕事場)に久しぶりに行きたくなりました。

あそこは、置いてあるどの作品が良いかとかじゃなくて、寛次郎さん設計の、古の趣のある建物全体が、一個の芸術作品。不思議な静けさが漂う、癒しの空間です。テーブルやイスも寛次郎さんの作。そこでの日々の暮らしと仕事そのものが、「美」だったのですね。

Pict0670

これは、京都の大山崎山荘美術館で、寛次郎さんの展覧会があった時の写真です♪

番組で、若いデザイナーの人が、寛次郎さんの陶器の形を見て、「何だ、これは」と感極まって、泣いちゃったことがある、と言ってたのは、よくわかるなぁ。

何ものにもとらわれずに、内奥から湧き上がってくる、生きる喜びを自由に表現しているんですよね。

Pict0675

同じく大山崎山荘美術館で展示されていた陶器。

70ぐらいの時の作品だと思います。

赤や黒や緑の強烈な色彩の釉薬を、器に打ち付ける激しい表現をしていながら、いやらしさがなく、落ち着いた品格があるのは、寛次郎さんの人格がなせるわざですね。

私は寛次郎さんが残してくれた言葉や文章がとても好きですが、その中から一つ紹介させていただきます。

悲しんでいても喜んでいる者がいる
怒っていても喜んでいる者がいる
苦しんでいても喜んでいる者がいる
生命は怒りや悲しみや苦しみでは―そんな外側のものではどうする事も出来ない

意識の下層部にいる生命はそんなものではかすりきずさえも付けることは出来ない
生命はどんな事が起こっても喜んでしかいない

だからこそ生命は生き切るのだ(生命が不死なのは其為なのだ)

人が喜ぶとひとりでに愉しくなるのは

内にいる生命体なる喜びと合体するからである

どんな苦しい時でも、自分の奥底にある生命は喜んでしかいない、と言い切れるのは、すごい!と思いますね。

「河井寛次郎の宇宙」(講談社)という本に収録されているので、関心のある方は是非読んでみてください♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/04

五井昌久先生の「世界平和の祈り」

現在、父が主宰しているコスモス会の機関紙「風韻誌」2月号の編集に携わっています。


huuinn

風韻誌2月号表紙 2月18日発売予定です♪
60ページほど。隔月刊誌です。

生け花は、父が生けたものです。

コスモス会は、宗教思想家の五井昌久先生(1916~1980)が提唱された世界平和の祈り」が真の世界平和を達成するものであることを根本精神として、様々な活動をしているグループです。

五井昌久という名前は知らなくても、「世界人類が平和でありますように」という言葉を街角で眼にしたことのある方は多いのではないでしょうか。

このお祈りは、特定の団体や宗教・宗派に属したものではなく、仏教の人でも、キリスト教の人でも、どなたでも、普段の日常生活の中で、自由にお祈りできる祈りです。

「世界平和の祈り」は次のような短い祈り言葉です。

世界人類が平和でありますように

日本(祖国)が平和でありますように

私達の天命が完うされますように

守護霊様・守護神様ありがとうございます

東洋哲学者の安岡正篤氏が「霊覚のある、しかも法力のある無欲な宗教家の第一人者は五井先生でしょう」と評されましたが、まさに五井先生は、日本近現代を代表する、最も優れた宗教家であると思います。

コスモス会が発足したのは、五井先生がご逝去された後のことです。

昔、父が人生相談を行っていて、来られた人たちに「世界平和の祈り」を祈ることをお勧めする内に、自然に同志グループのような形で、1985年に発足しました。

以来、会の道場や集会所で、講話やお祈りの集まりを開いてきました。現在は、父が書いた書や生け花の展示会など、芸術・文化面での活動にも力を入れています。


HP天奏家 尾崎元海の世界で、父の書や「世界平和の祈り」の紹介をしています。

このブログでも、コスモス会の講演会や展覧会の様子などを、紹介していきたいと思っています。

(3/16 追記)

天奏家のHPの講話のコーナーに、これまでの風韻誌に収録された父の文章を掲載しました☆

今のところ「五井先生との出会い」 「神は愛なり」 「コスモス問答」 「全託について」の4つだけですが、これから随時更新されると思うので、関心のある方は是非ご覧ください♪

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2006/02/03

柳宗悦の民藝と巨匠達展

京都文化博物館で開かれていた、「柳宗悦の民藝と巨匠たち展」に行ってまいりました。柳宗悦といえば、「民藝運動」の創始者で、それまで顧みられることのなかった、民衆が普段の生活の中で用いている工芸品の中に、高い美を見出した人です。この展覧会では、彼が募集した陶器や染織、漆器などの民藝や、民藝運動にかかわった、陶芸家の濱田庄司や河井寛次郎、バーナード・リーチら、巨匠達の作品が展示されていました。

東京で大学生活を送っていた頃、駒場にある日本民藝館に足繁く通っていたものです。

濱田さんの作品で、私が特に気にいったのは、飴釉の渋い味わいの土瓶。こんなのでお茶を飲めたら、最高だろうと思います。


寛次朗さんの晩年の作品は、民藝の枠をこえて、ホントに前衛的と思えるほど、自由奔放ですよね。それでいて、自我をどんどん主張していくんじゃなくて、逆に自我を空しくしたところから個性的な作品が生まれてきている―そういうところがすばらしいと思います。

芹沢けい介さんの「基督像」の染物は、中々ユニークで面白かったですね。

会場で一番インパクトがあったのは、棟方志功の、馬鹿でかい字で「柳仰」(師である柳宗悦を仰ぐという意味)と書かれた書。生命力が爆発していて、度肝を抜かれました。棟方さんは、板画だけじゃなくて、書もすごく好きです。

対照的に、柳宗悦の書は、穏やかで品格があって、中々いいものですね。

「点てよ 茶を 様なきまでに」という書がありましたが、意味がわからなくても、ああいいなぁ、と自然に思われました。様式を見せつけようとする茶道の臭みを捨てよ、というような意味なんだと思います・・・たぶん。

コーヒー茶会を催したりして、色々革新的なこともやってたんですね。驚きました。

民藝を通して、人を深い美の浄土に誘うことに務めた、柳宗悦の生涯に改めて感銘を受けました。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2006年1月 | トップページ | 2006年3月 »