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2006/03/05

五井先生の随想~ルノワールの絵~

この前、ゴーギャンの記事の中で、大阪の国立国際美術館で開かれていた、プーシキン美術館展のことを少し書きましたが、一番私の好みだったのは、会場入ったところに飾ってあったルノアールの「黒い服の娘たち」とモネの「白い睡蓮」の絵でした。この二人は、絵画なんて全く興味がなかった私が、最初に好きになった画家です。

ルノワールは「私にとって、絵とは好ましく、楽しく、美しいもの、そう美しいものでなければならないんだ!人生には不愉快なことがたくさんある。だからこれ以上、不愉快なものをつくる必要なんかないんだ。」ということを言っていますが、彼の芸術観を端的に示したものでしょう。すごく単純な言葉ですけれども、その信念を最期まで貫くというのは、やはり大変なことだろうと思います。

ルノワールは、悲しい、寂しい絵を描かなかった唯一の巨匠と言われますが、彼の人生の中で、人並みに悲しく辛いことは色々とあったことでしょう。晩年は、手が変形してしまうほど、リュウマチがひどくて、手に筆を縛り付けて描いた、というのは有名な話です。

しかし彼の絵には、苦しみというものは一切感じられず、常に幸福感に満ちています。

五井先生の「神への郷愁」というご本の中に、このルノワールの言葉を取り上げた文章があります。「美の探究」という随想です。

「神への郷愁」からの引用です。

ルノワールの画には、この世のみじめさや、きたなさは、少しも画かれていない。生命の美しさ、女性のもつ肉体の美と自然の風景の中にある、円満な輝やきが、観る人の視覚を通して心に沁みてくる。近頃は、やたらに、人間の醜さや、この世のきたなさをえぐり出すことによって、真実の世界を画いているような気の画家や小説家が多くなっている…〈略〉…

そういう醜さやきたなさは、人間の真実でも、この世の真のすがたでもない。私流にいえば、すべて神のみ心を離れていた人類の想念行為の消えてゆく姿であって、真実の地球世界、真実の人類というものは、尊く美しく、光り輝いている神の生命に他ならないのである。だから、そうした尊い美しい人間性や自然のすがたこそ掘り下げ掘り出して、画き出してゆき、この世を美しい輝かな生命の交流し合う世界にしてゆかなければいけないのだ。


「神への郷愁」は、良寛の書や、バッハやベートーベン、ゴッホなど、芸術の分野を取り上げて、真理の道を説いておられる随想が幾つかあって、五井先生の本の中で、私がよく読む一冊です。私がルノワールなどの絵画に惹かれるようになったのは、大学2年生の頃からでしたが、芸術への関心の深まりと同時に、宗教の世界への関心が深まりました。
私の中では、芸術と宗教は別々のものではなく、根本において一つのものです。

人によって芸術観というのは、様々でしょうが、私にとって芸術とは、人の心を美しくし、平和に導くものです。人に生きる勇気を与え、心を高め上げるものです。自分の中にあるいのちの輝きをそのまま素直に現していくことが、私にとっての、芸術であり、そして宗教だと思っています。

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コメント

私は小学生の頃、東京のデパートで開催された本邦初のルノアール展で実際の絵を見ました。美しい自然(欧州の田園風景)と裸婦の肉体の存在感、生命力に満ち溢れるオーラにただただ圧倒され、食い入るように魅入っていました。絵画鑑賞して味わう感動はいろいろあれど、あのときの感動はいまだに人生で一度限りの至高感でした。

投稿: 縁光 | 2006/05/16 22時04分

小学生の頃、ルノワールの絵に、人生で一度限りの至高感と言えるほど、感動できたっていうのは、すごいですね。

仏教では、法を聞いて、心身の自由を得た気持ちになって、喜びが溢れてくることを、法悦といいますが、優れた芸術に触れるときでも、それに似た状態になることがあるのかもしれませんね。

投稿: 晃久 | 2006/05/16 23時03分

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