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2006年5月

2006/05/29

みのお講演会開催!

5月28日(日)、父の講演会と書の展示会が、兵庫県、みのお市民活動センターで開催されました。

70名近くの方が来てくださり、内、新しい方は20名ほどでした。
浄土宗の方とかも来られていました。
他力念仏と、五井先生のみ教えは相通じるものがありますからね。
講演会に来てくださった皆様、本当にありがとうございました。

余談ですが、かつて、白光の斉藤先生が、地方巡講で箕面の地に来られた際、何て読むのかわからなくて、「ここはみのづらというんですか」と聞かれたそうですが、みのお山という修験道の開祖の役行者が修行された山がある、五井先生ともご縁がある地です。

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↑人間とはどういう風になっているのか、ボードを使って、神体・霊体・幽体の説明をしてるところです。
幽体(潜在意識層)にたまっている、業想念がなくなればなくなるほど、神様の御心が、その人を通して、現れてくるわけですね。


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父の書の掛け軸。手前から、「行雲流水」「山川草木皆佛」「神通」
行雲流水は、私も非常に好きな書ですね☆

道場や集会所で開く「法話会」と違って、ギャラリーとセットにした公共の施設での講演会だと、会員でない方でも気軽に来てくださるので、外に向かって広げていくには、講演会という形式は効果的ですね♪
しかし講演会だと、み教えや「世界平和の祈り」の説明はしますが、実際に統一をしませんので、私なんかは、途中で、五井先生の霊笛と拍手の音が無性に聞きたくなってしまいますね(^^ゞ

さて、次回の講演会ですが、7月23日(日)、大阪の堺で開かれます。
6月18日には、鹿児島集会所で、8月の末には、東京集会所でも、父が出向いて法話会を開く予定です。
これから、全国的に会の活動を広げていきたいものですね。

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2006/05/18

河井寛次郎の思想

以前も取り上げましたが、私が尊敬する芸術家の一人に、陶芸家の河井寛次郎さんがいます。
寛次郎さんは、陶芸だけでなく、木彫制作や、家具やキセルのデザインなども手がけられ、多彩な才能を発揮されました。

下の写真は、一昨年、京都の大山崎山荘美術館で開催された「表現者 河井寛次郎展」に展示されていた書です。(館内撮影自由でした)

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「喜者皆美―喜ぶ者は皆美しい」
寛次郎さんは、様々な4字熟語を自分で考えて、それを書に書きました。
「眼聴耳視―眼で聴く耳で視る」「手考足思―手で考え足で思う」「心刀彫身」「手霊足魂」・・・等々。

この展覧会の感想を、当時の風韻誌に書いたのですが、その文章の一部を、ここでもう一度紹介させていただきたいと思います。


『館内に掲げられていた寛次郎さんの言葉、「美しいものしかない みにくいものはまよひ」が、私はとても心に残りました。寛次郎さんは、美しいもの、つまり神様の命のみを実在と思われ、あらゆるものの中から真実の美を見出され、また表現され続けたのだと思います。
「不美不存」という寛次郎さんの4字造語があります。美しくないものは存在しない、醜いと思われるもの、この世の中のあらゆる不幸や悪は全て消えてゆく姿なのだ。私も、寛次郎さんのように人間が本来美しく喜びに満ちた存在―神の子―であることを信じ、世界平和の祈りを祈り続けていこう、と決意を新たにしました。
醜いものは全て消えてゆく姿と観じて世界平和の祈りを祈り続ければ、神様がすべて浄めて下さって、この世がどんどん美しく光り輝いたものになってくるに違いありません。』



そういえば、そもそも、このブログを始めたのは、ある方から、「あなたは寛次郎さんや板画家の棟方志功さんが好きだから、HPでも作って自論でも書いてみたら。」と言われたのが、きっかけだったんですよね。

結局、当初考えていたのとは違って、いつのまにか、主に五井先生とコスモス会を紹介するサイトになってしまいましたけどね(^^♪

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2006/05/15

守護霊様・守護神様に任せる

五井先生は、守護霊様・守護神様におまかせして生きる道を説いておられます。
神様にお任せするというのは、自分が少しも努力しないで、楽して生きることではありません。
神様におまかせすればするほど、生命は生き生きと活動し、おのずから努力するようになる、と先生は仰っておられます。

宗教信仰者であろうと、唯物論者であろうと、真剣に、悔いのない人生を生きよう、と思っている人は、誰でも努力はします。

しかし同じ努力するにしても、
「肉体の自分がやっているんだ」と思って力んでやるのと、反対に「肉体には何の力もない、守護霊様・守護神様が、私を通して全て為さってくださるんだ」と思って、神様にお任せしてやるのでは、大きな違いがあると思います。


風韻誌4月号の「コスモス問答」のコーナーに、神様にお任せする、という内容のことを父が書いていましたので、その文章を一部抜粋して、紹介したいと思います。


大抵の人は仕事を一生懸命しようとすると、想いが固く力んでしまって余裕がなくなるんですね。気分的にはものすごく仕事をしているように思うんだけど、実はあまり成果が上がってないんですよ。こういうケースが多いんじゃないですか。
「自分がやらなきゃ」という自我の想いから離れて、その仕事を抱くような気持ちでやるとうまくいくんですよ。
一番いいのは、仕事をする時に「守護霊様、守護神様、どうぞこの仕事をなさって下さい」と、自分の想いを預けてしまうことですね。そうすると肩の力が抜け、スッとした感じになり「自分が」という想いが前に出ませんから、中から守護霊様の知恵が出てきて、嫌なことや苦手と思うことでも自然に体が動いてくるんです。
こういう場合もあります。例えば、商売が不振な時、「何とかしなきゃ」と思って考えを巡らせますが、これではいい知恵は出ないんですよ。不調和な状態を掴んだままで物事をやろうとしても、努力多くして結果少なし、ということになってしまうんです。完全な知慧者であり何もかもご存知の守護霊様、守護神様にお任せすれば、絶対に良きように運んでくださるに決まっているんです。そのことを大確信して、あとは仕事を丁寧にやる―一番大切なものを抱くような気持ちでやるんです。
~尾崎元海~

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2006/05/09

出口王仁三郎さんの平和思想

4年ほど前に、京都で開催されていた「出口王仁三郎とのその一門の作品展」に行き、大本教の王仁三郎さんの「耀碗」と呼ばれる鮮やかな色彩の楽茶碗や、書画を見て、その素晴らしさに感動しました。
出口王仁三郎さんは、大本教の教祖ですが、大本の信徒でない、文化人や知識人にも、その思想や生きかたを、高く評価する人は多くいます。
作品展の賛同者の名前を見ると、梅原猛、瀬戸内寂聴、千宗室、稲盛和夫と、そうそうたる人たちの名が並んでいました。

最近出版された、「みろくの世 出口王仁三郎の世界」という本を読んで、改めて、世界平和の実現に命を捧げた、王仁三郎さんの人生に深い感銘を受けました。

王仁三郎さんは、日本が国粋主義・軍国主義に染まっていた時代に「国家や宗教や人種の障壁を超えて、人類は手を結ばなければいけない」と平和世界を建設することを訴え、世界各国の精神運動団体、例えば中国の同院・世界紅卍会やバハイ教などと提携していました。
当時は、そういう平和運動をするのは、命がけのことで、大本教は、国家当局から大弾圧を受け、王仁三郎さんも治安維持法違反・不敬罪で、7年近くも獄中で過ごさなければならなかったそうです。

終戦後、当然無罪になり、王仁三郎さんは弁護団から国家賠償を請求するよう言われますが、彼は賠償の権利を一切放棄します。

政府に賠償を請求しても、それは国民の税金から取ることになる。国民が敗戦の苦しみから立ち直ろうと懸命に努力している時に、われわれが国民の税金をもらうわけにはいかない。この災難は神様の摂理だと思っている。
―こういう考えであったようです。

最近よくある、金儲けや、信者数を増やすことだけに躍起になっているような新興宗教とは、全く正反対ですね。
立派だなぁ、と頭が下がる想いがします。

私は大本信徒でないですし、別の形で世界平和運動に携わっていますが、王仁三郎さんの思想や芸術には、大変敬意を抱いています。

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2006/05/08

生命の根源からの導き~東山魁夷~

私が好きな芸術家の一人に、日本画家の東山魁夷さんがいます。
清澄な自然と素朴な人間性を大切にすることへの「祈り」を込めた、東山さんの風景画は、じっと眺めていると、自然と心が落ち着いてきて、浄められるような感覚になります。

私は東山さんの絵ばかりでなく、お書きになられたエッセイや文章にも、とても心惹かれます。
例えば「日本の美を求めて」という本の、奈良唐招提寺の障壁画を完成させた際のお話の中に、こういう一節があります。

「私はずっと以前から、自分は生きているのではなくて、生かされていると感じる。また、人生の歩みも、歩んでいるのではなくて、歩まされていると感じる、そういう考えのもとに今日まで、自分の道をたどってきたような気がするのです。
山の雲は雲自身の意思によって流れるのではなく、また波は波自身の意思によってその音を立てているのではない。それは宇宙の根本的なものの動きにより、生命の根源からの導きによってではないでしょうか。
そうであるならば、この小さな私自身も、また野の一本の草も、その導きによって生かされ、動かされ、歩まされているのではないか、そう思えてならないのです。」(一部略)

心に染みこんでくる言葉です。
奈良唐招提寺の障壁画は、鑑真和上のみたまに捧げるために、描かれたのですが、東山さんは、私がこの絵を描いたのではなく、和上の精神の導きによってこの絵ができたのです、と仰っておられました。

人は時折、これまで自分の力だけで生きてきた、自分で全て決めて人生を歩んできた、と思ってしまうこともありますが、果たしてそうでしょうか?
雲も、野の草も、人間も、生命の根源からの導きによって、生かされ、動かされ、歩まされているのだと、と東山さんはいいます。
私は宗教信仰者ですので、「生命の根源からの導き」というのは「神様の導き」だと思っていますが、呼び方は何でも構いません。
とにかく自分を生かし、導いてくれている何か大きな力・存在に対して、謙虚になり感謝していくことが、大切なことであると思っています。

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2006/05/07

コスモス会のHPを作る予定です

「天奏家 尾崎元海の世界」のHPにアンケートのページが追加されました。
今後のHP作成の参考にさせて頂きますので、良ければご協力ください♪

現在、天奏家のHPとは別に、コスモス会のHPを別に新しく作成することを考えています。

講話のコーナーに、父の文章を紹介していますが、もともと書や生け花を紹介する目的で作られているので、コスモス会の活動内容や五井先生のみ教えを色々と紹介していくには限度があります。

コスモス会のHPでは、父の講話を音声で聞くことができるようにもしたいです。
あと、会員の方の文章や体験談なんかも紹介できると良いですね。

今年中には、たぶんOPENできるのではないかと思いますので、気長にお待ち下さいませ。


来週の日曜日、東京の武蔵野市民会館で、東京集会が開かれるので、行ってきます。
東京に行くのは2年ぶりぐらいですかね~
8月に父の法話会も開きますし、今年は、関東の地でも、活動を本格化させたいものです。

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2006/05/06

袖振りあうも他生の縁

総務省によると、ブログの登録者数は、去年の9月末時点で716万人だったのが、今年3月末の時点で868万人に急増したそうです。

ブログは私のようにパソコンについて詳しくない人でも、気軽にかんたんにできますから、今後ブログを利用する人は、ますます増えるんでしょうね。

私がブログを始めたのは去年の12月からでしたが、3日坊主にならないで、なんとか続いているのは、ホントに当サイトを見てくださっている皆さまのおかげです。
時折、思いがけない人から「ブログ見てますよ」と言われると、嬉しいです。

おそらく、当サイトを定期的に訪れてくださっている方たちの大半は、私のことやコスモス会のことを知っている人だろうと思いますが、中には全く知らなくて検索エンジンでたまたまやってきた人もいらっしゃると思います。

仏教の言葉で「袖(そで)振りあうも多生(たじょう)の縁」というのがあります。
「袖(そで)が触れ合うような些細なことであっても、知らない人とふとした交渉をもつのも、前世からの因縁があってのことだ」という意味です。

(ずっと「そで」を「ふで」と勘違いして入力していて、なんでうまく変換できんのや!と思っていました。完全なバカです)

私のことを全く知らなくても、私のブログを一回でも訪ねてくださったということは、やはり前世・過去世において何かご縁があったのではないか、と勝手に思っています。

それは、前世、たまたま道端ですれ違ったとか、その程度のものかもしれませんが、何かしらの縁がないと、人間と人間は、どんなささいな形であっても、接触することはないのだと思います。

そう考えると人間と人間の出会いというのは、実に不思議なものだと思いますね。

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2006/05/01

神戸講演会開催!

4月30日(日)に、尾崎元海・講演会と書のギャラリーが、神戸の南八幡会館にて開催されました。

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講演会会場風景↑
75名の方が参加され、そのうち新しい方は18名ほどでした。

人間にとって「個人の幸せの探求と世界の平和が同時に為されることが、もっとも望ましい生き方である」というテーマの話でした。その最も望ましい生き方こそ、五井昌久先生が提唱された「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を行じる道です。

全ての苦悩を超え、真の幸せを得るためには、「人間は大生命の命(神より来た命)を生きている存在であり、守護霊・守護神によって守られていること」を知り、「肉体が死んだら終わりではなくて、自己は永遠に生きとおすものである」との確信を持つことが何よりも大事だ、というような話をしていました。

父が、五井先生に初めてお会いしたのは、24歳のときだったそうで、8月30日という日もちゃんと覚えているそうです。
父の父親からある用件を頼まれて、そのご返事をいただこうと思って、五井先生のところに伺ったそうです。
15分ぐらいの短い間だったそうですが、五井先生をじーっと見ていると、五井先生から光が吹き出ていて、「白光の霧」のようなものが、五井先生を中心に流れ出てやまないのが、肉眼ではっきり見えたそうです。

父は若い頃、毛沢東が好きでマルクス主義を勉強していて、霊的なことに全く関心もなかったので、実際に自分がそういう体験をして「なんて不思議な人がこの世にいるんだろう」とびっくりしたそうです。
それ以来、立て続けに様々な神秘的な、霊的な体験をするようになったわけです。

講演会のあと、書のギャラリーが開かれ、父が当日生けた生け花も会場に飾られました。

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風韻誌や父の法話テープ・CDも販売しました~

会員の方でも、普段あまり法話会に来られないような方達が来てくださったので、良かったです♪随分久しぶりに来られた方もいらっしゃいました。
第一回目の講演会としては、大成功だったんじゃないかと思います。

講演会に来てくださった皆様、講演会のスタッフの皆様、本当にありがとうございました。

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