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2006年6月

2006/06/30

村田先生と斉藤先生の対談

家に置いてある古い白光誌に、五井先生がご還暦の際に為された、斉藤先生と村田先生の対談が載っていて、その内容がとても、心に感じ入るものがありました。
インタビュアーの方の、これから会が発展するにあたって、私たちの心すべきことは何でしょうか、との問いかけに対して、村田先生はこうお答えになられていました。

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村田先生:
お祈りの実践だと思います。
この間もある人が子供さんが悪くてどうしましょう、といってこられた。
「それはあなたが先に祈りに入ってくださることですよ」
「どうして入るんですか」戸を開けて入るというんじゃありませんからね
「入り方というのは五井先生!と一心によんで下さったらいいんですよ。守護霊様が入れてくださるのだから、ああもこうもでなくただ、五井先生とお呼び下さることが中に入ることです。どうぞこれを実践してください」と申し上げました。
祈りの実践というのは、どれだけ素直にどれだけ純粋に五井先生とお呼びできるか、ということに帰着するんじゃございませんでしょうか。これを集まって下さる方に倦まずたゆまず繰り返し繰り返し伝えてもらいたいと思います。

斉藤先生:
理論じゃないですからね。
五井先生というひびきの中に、お釈迦様が生きキリストが生き、もろもろの聖者が生きるんですからね。そういう方がいらっしゃるんだということを、我々は体で教えられた。新しく来る人たちは知らないけれど、やっぱり宗教というのは信から出発するんだから、こんな人に言っても無理だじゃなくて、やはり知らせなければいけませんね。

村田先生:
その知らせ方ですが、自分が真先に実践してゆく、これ以外にないと思う。あとの人は自然について来て下さる。

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この続きも非常に教えられる内容だったのですが、私は、これを読んで、「これは、偉大な祈りの先達である、斉藤先生・村田先生の、今の私たちに対するメッセージだなぁ」と、思わずにいられませんでした。

「本当に五井先生とお呼びできたときには、五井先生の中、おそばにいるんです。こういう形の五井先生をうんと広めていけば、一回も本部に来られなくても、五井先生にまみえ、五井先生にご指導していただくことになります。」と村田先生は仰っておられました。

このことをコスモス会でも、新しく来られる方達に対しても、繰り返し伝えています。
父は、自分自身の霊的な体験として、そういうことがよくわかるものですから、説得力を持って、そのことを人に伝えることができるわけです。
しかし、父は、「霊的にそのことが感じられなくても、そうなんだ、と深く信じてしまったら、霊的にわかったのと全く同じことだ」と言っていました。

肉体身を持った五井先生はもういらっしゃいませんが、五井先生は今も、「世界平和の祈り」を祈る私たち一人一人を守り導き続けておられることと思います。
「世界人類が平和でありますように」という、祈りの響きそのものが五井先生なのでしょうね☆

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2006/06/27

沈壽官さんのこと

この前、父が鹿児島に法話会に出向いた際、薩摩焼の陶器を買ってきてましたが、その窯元が紹介されているガイドブックをちょっと読んでいましたら、沈壽官窯の14代目の方が紹介されていました。
この方は、司馬遼太郎さんの「故郷忘じがたく候」という本にも紹介されていて、知人の韓国料理店のオーナーの方が、読んでみてください、と言って、その本を下さったので、以前読んだことがあります。
薩摩焼は、萩焼など他の多くの九州の焼き物と同じように、秀吉の朝鮮出兵の際、日本に連れて来られた陶工によって始められました。

「故郷忘じがたく候」の中に、沈壽官さんがソウル大学で、講演した際の話があります。

「韓国に来て、若い人の誰もが日本の圧制について語るのを聞いた。もっともであるが、あまり言い過ぎるのは、どうであろうか。新しい国家は前へと進まなければならないのに、この後ろ向きの心情はどうであろう。あなた方が36年をいうなら、私は370年を言わねばならない」

時には、涙のために絶句しながら、それに照れて冗談を飛ばしながら話す彼の言葉は、韓国の聴衆者の心を揺さぶったのでしょう。最後の言葉が終わると、聴衆者は、彼への友情の気持ちを、韓国の全土で愛唱されている青年歌に託して、歌声を湧き上がらせたそうです。

このくだりを読んで、沈壽官さんの、韓国と日本に対する想いに、胸が熱くなる気がしました。

「土に祈り、火を畏れつつ、手先でなく心で作る」というのが、14代沈壽官さんの信条だそうです。

先ほどのガイドブックに、「千度を超える窯の中は、人の手の及ばない世界。窯の神の御心のまま。でも、失敗するのは人間のせい。真剣に力いっぱいぶつかれば、窯はこたえてくれる。そのためには手先で作らず、心で作ること。焼き物は総合芸術だから、作り手の人間観や思いが作品に表れる。手先の器用さでなく、スケールの大きい人間になる必要がある」と沈壽官さんの言葉が書いてありました。

さすが、良いことを仰られるなぁ、と思いました。
沈壽官さんは、ご自身の作陶のことについて語っておられるのですが、全てのことに通じる良い話ですね♪

父は鹿児島で、幾つか窯元を回ったけども、沈壽官窯は、とても浄まった、伝統の気風が残ったいいところだった、と言っていました。

それに対して、ある別の店は、形はまあ良いのだけれども、作り手(店の人)の我の想い、売らんかな、という思いが強すぎて、感心しなかった、と言っていました。

芸術というのは形がいくら良くても、技巧がいくら卓越していても、その人の思いが低かったら、駄目なんですね。
絵画でも、書でもみんなそうですね。
面白いものです。

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2006/06/25

心身の神癒~イエスの言葉~②

以前の記事で取り上げた「心身の神癒」から、イエスの言葉を、また幾つか紹介したいと思います。

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第11話―60
嬰児(みどりご)が母の膝の中で安らぐように、あなたたちも又自分が久遠の愛なる父の膝の中にいることを実感し、神に全託するがよい。
そうすればあくせくすることもなくなり、神の力があなたたちの心と胸に宿り、あなたたちの腕は強く、心は敏捷となるであろう。これがあなたたちと共にあるキリストの力である。

第11話―61
すると父はあなたたちをその愛で抱きしめ、あなたたちはその食卓で食べ、父おんみずからの手であなたたちに給仕し給うであろう。

第11話―62
父は幾千とも知れぬ方法で絶えずあなたたちと共に語り、あなたたちと共に歓び給うであろう、そしてあなたたちを特愛の児として扱い給うであろう。

第11話―63
こうしてあなたたちは何時も父の聖なる臨在の中において自分自身のことを考えるようになるであろう。

第11話―65
人間のうちでも最も下劣で、腐敗しきった者、父に対してあらゆる種類の罪を犯したであろう者でも、自分の一切の悪を告白し、聖なる赦しを求めて、その慈悲に全託しさえすればよいのである。

第11話―66
わたしの父はその恵みを彼の前に拡げ、責めもし給わずにその食卓の席を彼に与えた給うであろう。

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これを読むと、神様の人間に対する絶対的な愛に、ジーンときます。

自分が過ちを犯したときでも、そのことに対して自分がちゃんと反省をし、神様ごめんなさい、世界人類が平和でありますように、と神様の慈悲に全託しさえすれば、神様は必ず赦してくださると思います。

私達にとって、守護霊様・守護神様、そして五井先生が、魂の父母であろうと思います。
守護霊様・守護神様・五井先生に、本当に深く感謝しているときは、私たちは、五井先生の膝の中にいる、守護霊様・守護神様の愛に包み込まれているのだと思います。


昔ある白光講師の方が、「救世の大光明が光り輝く道場は五井先生のお体そのもの。私たちは、今、五井先生の手の平の上に座って、お祈りをしているのですよ」という旨のお話をされているのをテープで聞いたことがあるのですが、「手のひらの上」という表現が、絶対的な安心感を感じさせ、とても心に残っています。

座って統一しているとき、私は今、五井先生の膝の中にいる、五井先生の手のひらの上にいる、五井先生の大光明の中に包まれているんだ、と思うと、心が安らぐ思いがします。

守護霊様・守護神様・五井先生は、子供である私たち一人ひとりを特別に愛してくださって、守り導いてくださっている―このことはどこまで信じても間違いのないことだと思います。

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↑コスモス会・堺集会所に飾っているイエスの肖像画です。
家にも飾ってあるのですが、間近で見ると、霊妙な響きを感じさせる、例えようのない美しさで、思わずその美しさに見とれてしまいます☆

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2006/06/22

会に関するお知らせ

18日の日曜日に、父が鹿児島集会所に出向いて、2回目の鹿児島法話会が開かれました。一定数の人が来てくださって、良い感じだったみたいです♪
ただ、鹿児島は「父の日」を盛大に祝う風習があるそうで、「行きたいんですけども、父の日はどうしても家にいなきゃいけないんです」とのことで、来れなかった男性の方が何人かいたみたいです。
鹿児島は男性の人が結構来てくださっているので、男性が少ないコスモス会としては嬉しい限りです。

父が、薩摩焼という焼き物の「花器」を買ってきてました。
司馬遼太郎さんの「故郷忘じがたく候」という本に、第14代沈寿官(ちんじゅかん)という、有名な薩摩焼の陶工が取り上げられていますが、そこの窯に行って来たそうで、とても浄まったいいところだった、と言ってました。

話は変わりますが、7月と10月に、それぞれ開催予定の、大阪の堺市と、奈良の講演会場を、この前見に行きました。中々立派なところでした。
この講演会を通して、五井先生の「世界平和の祈り」が多くの人に伝わりますように、と祈らずにはいられませんでした。

8月27日には、東京でも何年かぶりに父が出向いて法話会を開くことになりました。
たぶん「武蔵野市民会館」というところになると思うのですが、予約が取れてないので、まだ未定です。

それと、皆さんご存知じゃない方が多いと思うのですが、9月にアルザスのフランス支部で、父の書のギャラリーをやる予定です。
イエス様絶対のキリスト教圏で、五井先生のみ教えを伝えるというのは、中々難しいことではあると思います。
フランスとドイツのメンバーの方は、周りがみんなクリスチャンなのに、よく五井先生を信じて、世界平和の祈りを祈り続けることができるな、とその信仰心の深さには驚かされます。
フランス支部のある女性のメンバーの方が、以前日本に来られたとき、五井先生のビデオをお見せしたら、その当時は全く日本語がわからなかったのに、涙を流されながら、ご覧になっていたそうなんですね。
それで、日本のメンバーが、びっくりしたそうです。
やっぱり言葉はわからなくても、五井先生の慈愛そのものの響きに、心が揺さぶられるんでしょうね。


(6月24日追記)
東京法話会の件ですが、8月27日の午後、「武蔵野市民会館」で予約が取れたみたいなので、お知らせしておきます。

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2006/06/19

宝塚の庭園と「火の鳥」

阪急宝塚駅を降りて、歩いて8分ぐらいのところに、宝塚ガーデンフィールズ 英国風ナチュラル庭園 シーズンズという庭園があります。

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ポール・スミザーという、英国のガーデンデザイナーの方(雑誌やテレビなどでも活躍されている方だそうです)が、設計された庭園で、四季折々に変化する風景を楽しめるようになっています。

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↑ハスの花

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↑アメリカアジサイっていう花があるんですね。

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↑へメロカリスという、ユリ科の花です。

私が住んでいるところから3駅しか離れていない、すぐ近くにあるので、時折、出かけて、心身をリフレッシュさせてます。

庭園のすぐ隣には、宝塚市立手塚治記念館があります。
手塚さんは、5~24歳までの間、宝塚で過ごされました。

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記念館の前にある、火の鳥の平和モニュメントです。

下に、「火の鳥の原点は、ロシア民話の中で、炎の中から復活し永遠に再生し続ける『生命の象徴』として登場します。火の鳥は、故手塚治氏によって古代から永遠と続くあらゆる生命の観察者としての使命をあたえられ、人類が何度も繰り返したみにくい戦いの歴史を見守りながら、戦争のない平和な世界がつくられ、宇宙に存在するすべての命が大切にされることを願っています。」と記されています。
人間を見守り続け、平和な世界が作られることを願っている存在というのを、手塚さんは直感的に感じておられて、それを仮に「鳥」という形で表現されたのでしょうね。

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2006/06/16

世界は必ず平和になる

ワルシャワ条約機構という、ソ連を中心とした東側諸国の軍事同盟がありました。
最近、ワルシャワ条約機構の文書が機密解除されて明らかになったそうですが、1960年代~70年代において、アムステルダムやブレーメンなど、西側諸国の都市を、核兵器189発で攻撃しようという計画を策定していたそうです。
その計画を1980年代までは改定を続けていたそうです。

五井先生のご本を読んでいると、「世界と自分とは離れているように思うけれども、核戦争が起これば、自分の家もなくなってしまうのだから、世界を救うことは自分の家も助けることなんですよ」という旨のことがよく書かれています。
理屈ではわかるものの、私にはあまり現実感が伴いにくい話なのですが、当時は、本当に、核戦争が起こる可能性というのが現実にあったんですね。
そういう時代に、五井先生は、これ以外に人類を救う、真の平和世界を実現できる方法はないんだ、と国民大衆運動としての、祈りによる世界平和運動を提唱されました。
東西冷戦、キューバ危機、中ソ対立といった様々な危機的な状況から、人類を救ったのは、間違いなく五井先生であり、そして先生のみ教えを実践し、世界平和の祈りを祈り続けた大勢の人の、祈りの力であろうと思います。

核戦争の危機というのはとりあえず防がれたわけですけども、五井先生は、仮にアメリカが共産主義国を全部倒したとしても、武力で持って他をやっつけるという姿勢を変えない限り、新たな敵が出てくるだけですよ、と仰っておられました。
そしてその言葉通り、共産主義がテロに変わっただけで、アメリカは昔と同じ事を繰り返しており、世界情勢は未だ混迷の中にあります。

しかし、人類全体の業が、世界平和の祈りの、救世の大光明によって、どんどん浄められ、私たちが想像もできないような、凄いスピードで消え去っていっているのは間違いのないことだと思うのです。
神界では、完全調和な世界がすでに出来上がっているのだから、地上界に映し出されるのも、時間の問題のはずです。
世界は必ず平和になる、と五井先生は断言して下さっています。
私たちが気づかなくても、普段何気なく祈っている「世界平和の祈り」が、争いや不調和な出来事を防ぎ、大難を小難に、小難を無難に変えているのだと思います。
このお祈りをすることへの自信を深めてゆきたいものですね☆

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2006/06/14

風韻誌6月号案内

     Huuin_2  

風韻誌6月号が6/20に発売されます。
表紙の生け花は、父が箕面講演会の際、活けたものです。

父のメインの法話は、今回「不動心で生きる」というテーマで書いています。

本来の構造改革というのは、形の無駄を省くなどという当たり前のことを超えた、人間の価値観の転換にある。それは、小我を中心とした自我本位のあり方を超え、「私は大生命より来るものであり、生命において人類は兄弟姉妹である」との同胞意識を確立していくことである―などといった内容のことを書いています。

前の記事でも一部紹介しましたけども、「人生ってええもんや」というコーナーでは、父が五井先生とお会いしてからの霊的な体験について、色々と面白い話を書いています。

先の神戸と箕面の講演会&書のギャラリーの特集記事も組んでいます。


天奏家 尾崎元海の世界のHPで、会員でない方に、風韻誌の最新号のプレゼントをさせて頂いていますので、興味がある方は、ご覧下さい♪

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2006/06/11

河井寛次郎の思想(2)

今日は、陶芸家の河井寛次郎さんのエッセイ「火の誓い」に収録されている言葉を、一つ紹介したいと思います。

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助からないと思っても助かって居る。

人は善美の中に居ながらこれを拒む事にのみ努力をしている贅沢者。
こんな贅沢者さえ善美は包む。ほったらかされては居ない。
ほったらかされては居ないのに人はほったらかされて居ると思いたくて仕方がないのだ。

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この言葉を最初読んだとき、「これは参ったな~」と思わず笑ってしまいました。
神様は真善美と言いますから、文中の「善美」を「神様」と言い換えても良いと思います。
そうすると、より一層この言葉が心に染みてくるのです。

神様の命は私たちの身の周りの樹木や草花等の自然にも現れているし、守護霊様・守護神様はいつも私たちを守ってくださっています。
内にも外にも、いたるところに神様の善美は溢れているのだと思います。

神様から見たら、そのことに感謝しないで、不平不満ばかり言っている人間は、ホントに善美(神様の愛)に包まれながら、これを拒む事にのみ努力をしている贅沢者なのでしょうね。

それにしても、「人はほったらかされて居ると思いたくて仕方がないのだ。」って、よくこんなに上手いこというものだ、と苦笑せずにはいられません。
本当に、そうですよね♪

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2006/06/05

コスモス会の名前

コスモス会のメンバーの方から、「是非見てください」と、熊田千佳慕さんの「花を愛して」という題名の画集を貸していただきました。
卒寿(90歳)の花の画集と、表紙に書いてありました。
すごいですねぇ。
この方は、ライフワークとして、ファーブル昆虫記の絵本化の仕事をされているそうです。

「虫も草も木も
愛情をもって見るとかわいいし
美しい発見があります。
人間の仲間として
小さな虫を花を草を
どうか愛してください
~千佳慕」

サクラソウ、スミレ、アサガオ・・・etcの花々の絵が、千佳慕さんの短いエッセイのような文章と共に掲載されていました。
草花への愛情に満ちた、優しい、心に染み入る絵と文でした。

その中で、コスモスの絵もありました。
文を読みますと、
「南アメリカで生まれたくせに、今ではすっかり日本になじんで、日本生まれのような顔をしている彼女達・・・」と書いてありました。
あれっ、そうだったんですね。
てっきり日本の花だとばかり思っていました。

コスモスは私の父の誕生花であり、昔、父が法話会を開いていた武庫之荘道場には庭一面にコスモスの花が咲き誇っていました。

コスモス会という名前は、そんな理由からつけられました。
それと、コスモスには、英語で調和や宇宙という意味もあるので、「大宇宙の中心者と一体となって、調和した平和世界を築く」という想いも込めていたのではないか、と思います。
昔は漢字で「秋桜会」と表記していたので、よく郵便配達の人から、「あきざくらかい」とか「しゅうおうかい」とか、間違えられてました。
ひょっとして、その筋の会と間違えられていたのかも(^^ゞ

千佳慕さんのコスモスの文の最後に、
「秋風にゆれる優雅な花すがたも、一夜の嵐にあってなぎ倒されても、すっくと立ち上がり、秋をまきちらしてくれるしたたかさ。
私が苦しみに耐えているとき、いつも心強く励ましてくれる花ともだち」

と書かれていました。

コスモスの花言葉は、真心、愛情、調和。

コスモス会が、コスモスの花のように、一人でも多くの人達の、心を励まし、真実に癒すことができる会でありますように。

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2006/06/04

五井先生と王仁三郎さん

以前、大本教の出口王仁三郎さんのことを記事に書きましたけども、父は27歳ぐらいの時に、白光の友人数人と共に、京都の亀岡にある大本教の本部に行って、王仁三郎さんの書画や楽茶碗(耀碗・ようわん)を見せてもらったことがあったそうです。
後日、父が五井先生のところに伺う機会があったので、「この前、大本教に行ってきました」と王仁三郎さんの耀碗の写真のポストカードを先生にお渡ししたところ、それをご覧になられて「ああ、いいねぇ。私も焼き物をやりたいんだけどねぇ。この人なら、私のところにもよく来てるよ」と仰られたそうです。
五井先生は、元々声楽をされていたし、優れた和歌や短歌を詠まれた芸術家です。
もし仮に、五井先生に時間的余裕があって、陶器の制作に取り組むようなことがあれば、一体どんな作品をお創りになられたのだろうか、と想像するだけで、心がわくわくしてきます。
ちなみに、王仁三郎さんが昇天されたのは、昭和23年ですから、私のところに来てるよ、というのは、霊身として来てるって意味ですよ。念のため・・・
私は、この話を聞いて、「さもありなん」と思いました。
戦前、万教同根を説き、絶対平和を貫き通した王仁三郎さんが、五井先生の宗教・宗派を超えた「祈りによる世界平和運動」に参加してこられないはずがありませんものね。

私が好きな王仁三郎さんの言葉です。
「すべて人間はつねに心を平静に持ち、愛善の誠をもって、人の幸運を祈り、悲しかったことや悔しかったことは全然忘れてしまい、楽しかりし事をのみ思い出し、世界人類に対して誠をさえつくしておればそれでよいのである。これがかんながらの心である。」
五井先生のみ教えにつながった私たちにとって、悲しかったことは過去世の因縁の消えてゆく姿であり、「世界人類が平和でありますように」とお祈りすれば、自分の想いも浄められると同時に、世界人類に光を送る、愛行をさせていただいていることになると思います。
きっと王仁三郎さんも「世界平和の祈り」の救世の大光明の中で、地上天国の実現のために、生き生きと働き続け、私たちに光を投げかけてくださっているに違いない、と思う今日この頃です。

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2006/06/02

心身の神癒~イエスの言葉~

「心身の神癒―主、再び語り給う―」という本をご存知でしょうか?

この本の著者のマクドナルド・ベイン氏(哲学博士・神学博士)は、スコットランドで生まれますが、生まれつきの霊能者であり、6歳の頃、イエスの顔を拝する神秘的な体験をしたといいます。

氏は霊の導きにより、ヒマラヤに赴き、ヒマラヤの聖者方に会い、「解脱の真理」について教えられます。
そして1948年の春、南アフリカ連邦ヨハネスブルグにおいて、イエス・キリストがベイン氏の肉体に再臨し、2週間にわたって、毎夜聴衆の前で講話を行い、それが「心身の神癒」という本に収録されているのです。

この本の信憑性に関しては、五井先生が「間違いなくイエスが語ったもの」と、保証してくださっています。
(聞くところによると、この本の日本語訳をされたのは、白光の方だそうです。)

我が家に若い頃、父と母が購入し読んでいた「心身の神癒」が、それぞれ一冊づつあります。下線が一杯引いてある、ぼろぼろの本を見ていると、若き頃の両親の真理への情熱が感じられて、感慨深いものがあります。(今もよく読んでいるようですが)

「心身の神癒」(霞ヶ関書房)から、幾つか引用させていただきます。

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第1話―61
父なる神が個別化して各人一人一人となったのであり、(かくて一人ひとりが)久遠なる神の子すなわちキリスト(神我)の顕現として生誕し、地上に生を得ることとなったのである。

第1話―73
あなたたちは生まれながらにして神の子女である。神の霊たるキリスト(神我)があなたたちの中にあるからである。キリストを理解し尽くしたときあなたたちは自分自身がキリストであることを知る。

第2話―45
神と人とが一体であることを本当に学び取ることの何と遅いことか。
あなたたちは自分を制約しているものを捨て去るのを恐れている。
まるで子供のようにあなたたちは自分の玩具、自分の壁、仕切り、教会・礼拝堂(キリスト教)、会堂(ユダヤ教)、モスク(回教)にしがみついている。
ああ、あなたたち一同をわたしの翼のもとに引き寄せて、すべてのものの中にある共通の一なる生命を見せてあげることが出来たら、とどんなに私は思うことか。

第10話―102
肉体より移り去った人々の多くは、肉体を纏(まと)っている他の人々を見守り、助け、導いているのである。あなたたち一人ひとりに守護霊がついている。あなたたちは一瞬の間も決して孤独ではないのである。

第12話―66
大多数の人々は自分のやったことを見てうぬぼれて云う、「わたしがこれを建てた、あれを建てた。わたしがこれを創った、あれを創ったのだ」と。どんな人であっても神から離れて何かを創りうるものではないのである。なぜならばあなたたちにそうする力を与えられたのは神だからである。神の外には何もないのである。神はそのご本性において無限だからである。

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ここに紹介したのは、イエスの語ったほんの一部ですが、驚くほど、五井先生が説かれたことと共通するところが多いのです。
真理は一つなのですから、当たり前ですけどね♪

聖者方は、言葉の表現は違っても、みな同じ事を仰います。
即ち、人間の本来の姿は、キリストであり、仏性であり、神の分霊である、ということです。
(現在のキリスト教は、その一番肝心なところがはっきりと伝わっていなかったりするのですが・・・)

ではその本来の姿を現すにはどうしたら良いのか。
そこが聖者方によって、瞑想したり、座禅を組んだり、念仏を唱えたりと、それぞれ違うわけです。

人それぞれ自分の性にあったやり方を選べばいいのかも知れませんが、わたし個人としては、五井先生の説かれた「消えてゆく姿で世界平和の祈り」を実践することが、一番間違いのない優しい神性顕現の道だと思いますし、他の人にも、それをお勧めします☆

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