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2006/07/28

世界平和の祈りは感謝の現れ

先日、ある文章で、村田先生が「本当に消えてゆく姿は、『神様消してくださいましてありがとうございます。』と心より感謝が湧き上がったときに、その業生は必ず消えてゆくのです」とお話されているのを読んで、ハッとさせられるものがありました。

村田先生の言葉は、自らが実践しきったところからの言葉ですから、大変心を打つものがあったのですが、いざ自分のことを顧みると、確かに、嫌なこと、都合が悪いと思う出来事が起こった時に、これは守護霊様が、過去世の業因縁をできるだけ小さい形で消してくださっているんだと、頭ではよく理解できるのですが、実際、そのことに対して、いつも心から感謝できるという心境には中々なれないものです。

そんなことを思っている時に、五井先生の講話をテープで聞いていましたら、ある方が「我々は感謝できる時と、感謝できない時がありますが、どうしたら全感謝できるようになれますか」と質問されていました。

五井先生はどのようにお答えになるだろうか、と思って聞いていましたら、こういうようなお答えをされていました。


  ☆  ☆  ☆

自分が病気になったり、不幸な状況になったときでも、感謝できなければ、本当に宗教の道に入ったとはいえませんが、中々そこまでいく人はいません。

けれども、表面の想いで、病気なり、不幸なり、個々の現象の出来事に感謝できなくても、「世界人類が平和でありますように」という響きの中に自分が入ってしまえば、世界人類のために尽くしていることになり、言い換えれば、世界のあらゆるものに感謝したのと同じことになるんです。

世界平和の祈りを祈るのは、業想念ではなく、いつも本心なんです。
表面的には不平の想いがあっても、世界人類が平和でありますように、と祈れば感謝の気持ちが現れたことになるんです。

いい状態のとき、喜んで感謝しながら祈るのは言うに及ばず、最低の状態であっても、嫌々ながらでも、「世界人類が・・・」とやれば、いつも感謝していることになります。


  ☆  ☆  ☆


これを聞いて、改めて、「世界平和の祈り」って、何て素晴らしい祈りなんだろう、と感動してしまいました。世界人類が平和でありますように、という祈りそのものが、感謝の響きの現われなんですね☆


次の妙好人の浅原才市さんの言葉は、五井先生が仰られたことと相通じる部分もあると思うので、ちょっと紹介したいと思います。

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「才市よい、うれしいか、ありがたいか。」

「ありがたいときや、ありがたい、なつともないときや、なつともない。」

「才市、なつともないときや、どぎあすりや。」

「どがあも、しよをがないよ。
なむあみだぶと、どんぐりへんぐりしているよ。

今日も来る日も、やーい、やーい。」

『妙好人』 鈴木大拙 法蔵館

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才市さんが、80歳を超えてからの言葉だそうですが、鈴木大拙さんが、これを評して『古今の高僧でも至り易からぬ境涯』と仰っておられたのは、さすがだなぁ、と思いました☆
才市さんが、念仏一念に徹せられたのを少しでも見習って、私も世界平和の祈りを祈ることに徹してゆきたいと思いました。

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