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2006年7月

2006/07/30

棟方志功さんのこと

昨日、テレビ東京の「美の巨人達」という番組で、棟方志功さんの、吉祥の女神を描いた肉筆画を取り上げていましたけども、やっぱりいいですね。
棟方さんは、板画は勿論のこと、肉筆画も素晴らしい作品をたくさん残されています。
彼の作品は、ダイナミックな生命力に満ち満ちていて、それでいて人を包み込むような、優しさ、柔らかさがあって、私は大好きです。
近くで展覧会があると、必ず見にいきます。

「板画は僕の呼吸そのもの。肉筆画は筆が勝手に動き出す」と仰っておられたそうですが、棟方さんの絵を描いているのを映像で見ると、そのスピードに驚きます。
「えっ、これ3倍速で再生してるんじゃないの」と思わず、思うぐらいです。

棟方さんは、「自分の力で仕事をするということは、小さな無力なものだ。自分の板画は、私が彫ってるんじゃないんだ。私は仏様の手先になって、板木の上を転げまわっているだけなんだ、私が作るのではなくて、仏様の力によって、自然に生まれてくるんだ」といったことを仰っておられたそうです。

棟方さんの創作の根本精神には、浄土真宗に代表される他力の思想があると思いますが、そこに私は強く惹かれるものがあります。

棟方さんが絵を描いたり、板木を彫ったりしている映像を見ると、何か巨大な力が、板画の神様、仏様が、棟方さんの肉体を使って、描かせ、彫らせているような、そんな印象を受けます。

父が、棟方さんの過去世は、念仏に徹したお坊さんだ、と言っていましたが、やっぱり、そういう過去の積み重ねがあるんですね。

肉体には何の力もないんだ、神様、仏様によって、この自己は生かされ、動かされているんだ、ということが、学問としてではなく、頭脳知識としてではなく、体ではっきり体覚されていたんでしょうね。

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2006/07/28

世界平和の祈りは感謝の現れ

先日、ある文章で、村田先生が「本当に消えてゆく姿は、『神様消してくださいましてありがとうございます。』と心より感謝が湧き上がったときに、その業生は必ず消えてゆくのです」とお話されているのを読んで、ハッとさせられるものがありました。

村田先生の言葉は、自らが実践しきったところからの言葉ですから、大変心を打つものがあったのですが、いざ自分のことを顧みると、確かに、嫌なこと、都合が悪いと思う出来事が起こった時に、これは守護霊様が、過去世の業因縁をできるだけ小さい形で消してくださっているんだと、頭ではよく理解できるのですが、実際、そのことに対して、いつも心から感謝できるという心境には中々なれないものです。

そんなことを思っている時に、五井先生の講話をテープで聞いていましたら、ある方が「我々は感謝できる時と、感謝できない時がありますが、どうしたら全感謝できるようになれますか」と質問されていました。

五井先生はどのようにお答えになるだろうか、と思って聞いていましたら、こういうようなお答えをされていました。


  ☆  ☆  ☆

自分が病気になったり、不幸な状況になったときでも、感謝できなければ、本当に宗教の道に入ったとはいえませんが、中々そこまでいく人はいません。

けれども、表面の想いで、病気なり、不幸なり、個々の現象の出来事に感謝できなくても、「世界人類が平和でありますように」という響きの中に自分が入ってしまえば、世界人類のために尽くしていることになり、言い換えれば、世界のあらゆるものに感謝したのと同じことになるんです。

世界平和の祈りを祈るのは、業想念ではなく、いつも本心なんです。
表面的には不平の想いがあっても、世界人類が平和でありますように、と祈れば感謝の気持ちが現れたことになるんです。

いい状態のとき、喜んで感謝しながら祈るのは言うに及ばず、最低の状態であっても、嫌々ながらでも、「世界人類が・・・」とやれば、いつも感謝していることになります。


  ☆  ☆  ☆


これを聞いて、改めて、「世界平和の祈り」って、何て素晴らしい祈りなんだろう、と感動してしまいました。世界人類が平和でありますように、という祈りそのものが、感謝の響きの現われなんですね☆


次の妙好人の浅原才市さんの言葉は、五井先生が仰られたことと相通じる部分もあると思うので、ちょっと紹介したいと思います。

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「才市よい、うれしいか、ありがたいか。」

「ありがたいときや、ありがたい、なつともないときや、なつともない。」

「才市、なつともないときや、どぎあすりや。」

「どがあも、しよをがないよ。
なむあみだぶと、どんぐりへんぐりしているよ。

今日も来る日も、やーい、やーい。」

『妙好人』 鈴木大拙 法蔵館

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才市さんが、80歳を超えてからの言葉だそうですが、鈴木大拙さんが、これを評して『古今の高僧でも至り易からぬ境涯』と仰っておられたのは、さすがだなぁ、と思いました☆
才市さんが、念仏一念に徹せられたのを少しでも見習って、私も世界平和の祈りを祈ることに徹してゆきたいと思いました。

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2006/07/24

堺講演会報告

7月23日(日)、大阪のソフィア・堺(中文化会館)で、父の講演会が開催されました。

講演会は、色んな人達に気軽に来てもらって、五井先生のみ教えと、世界平和の祈りを知ってもらおうとの趣旨で、今年から始めましたが、今回で3回目となります。

講演会には大体72名ぐらいの方が来て下さり、新しい方は26名ほどでした♪
ご来場のみなさま、ありがとうございました。

来場者の方が書いてくださった、講演会のアンケートを読んでみると、守護霊様・守護神様に感謝することや、祈ることを、抵抗感なく受け入れてくださったようで、ホッとしました。


↓講演会は3階でやりましたが、同時に一階のギャラリーでは、父の書と生け花の展示を行いました。
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広い空間で大きな書を飾るのは良いもんですね。

たまたま通りがかった人も見てくださいました。
私はその場にいませんでしたが、熱心に書を写真でパシャパシャ撮っているおじさんもいたそうです。
4人組の小学生がギャラリーを見ていたので、父の書のカレンダーをプレゼントしました。

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グッズコーナー。書をプリントしたTシャツ、トートバッグなど。

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2006/07/19

五井先生との出会い

最近、父が、現在製作中のコスモス会のHP用に、五井先生と出会うまでのいきさつを新たに書いたのですが、中々面白いので、HPが出来る前に、ちょっとだけ紹介したいと思います。

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私は昭和18年10月23日に、大阪府岸和田市に生を受けました。

高校に入った頃から、それまでの抑圧した想いが一気に爆発し、無茶苦茶な日々を送るようになり、そのケンカ速さには、自分でも呆れるほどでした。

20歳頃を過ぎると、さすがに将来の自分を考えるもので、こういうことではいけないと自分探しの旅が始まりました。高校生の頃、勉強をしなかったこともあり、独学で色々な書物を読むようになりました。小学校の高学年頃から好きだった毛沢東の本、マルクス主義に関係する本も研究し、直接共産党の大阪府本部に出向いて、色々と話し込んだこともありました。

仕事(書籍商)のかたわら、ベルグソンを始めとして様々な西洋哲学、心理学、ペスタロッチを始めとした教育哲学などを読んでいたのですが、23歳の半ば頃から、まるで首根っこを掴まえられているかのように、ある方向に引っ張られていったのです。それは、人間とは何かという探求で、実存哲学、東洋哲学、禅の思想に関心がいき、とことん追求していくという状況がしばらく続きました。

そうこうしているうちに、もうこれ以上進んだら精神的にバランスがとれないというようになり、全くのお手上げ状態になったのですが、その時、それまでは興味が湧かなかった親鸞の歎異抄(たんにしょう)の解説本を読む機会があり、それをきっかけに、大きな力によって自分は生かされているのだ、という奥底からの実感が生じ、苦悩の渦から解放されるという第一歩を踏み出したのです。

それから一年ぐらい経って、石原慎太郎の「巷の神々」という本を見つけ、何気なく読んでみたのですが、分厚い本の2ページほどの紹介で、千葉市市川市で「世界平和の祈り」を提唱されている五井先生に会いに行ったときのエピソードが書かれていました。その箇所を読んでいるうちに、どうしてもこの先生に会ってみたいという強い思いが湧き上がってきたわけです。

それから半年ほど後に、五井先生が書かれた「宗教問答」という本を見つけたのです。
その頃には、父も五井先生の本を読むようになっていたので、二人で競うように読み、その内容について毎日話すという日が続いたのです。読み続けているうちに、とにかく会いにいかなければと思い、白光真宏会の本部に手紙を書いたのです。手紙を出したものの、どこの馬の骨かわからない地方の青年が会いたいと言っても果たして大丈夫なのかと思っていたのですが、当時初代の理事長をされていた横関実さんが、ていねいな手紙を送って下さり、五井先生にお会いできるようにいたしますから、との返事を下さったのです。

あれは忘れもしない24歳の8月31日の午前11時頃だったと思います。
昱修庵のお庭が窓から見え、何とも言えない清々しく安心できる響きだったのを、今もはっきり覚えています。いよいよ私の番になり、襖を開け、「五井先生こんにちわ」と挨拶し部屋に入ると同時に、五井先生が明るい声で、「ああ、真宗のお坊さんが来られましたね」と声を掛けて下さったのです。当時は宗教的なことには無智な私でしたから、「ありゃ」と思いながら、父から依頼されたことを五井先生にお聞きしました。その間、私は五井先生をじっと見つめていたのですが、「何と懐かしい方なんだろう」という思いと、五井先生の全身から響き出ている無色透明の霊光の神秘さに、ただ呆然とするばかりでした。

この15分ほどのお出会いの後で、市川駅の近くにある新田道場へ、お世話になった横関さんに御礼に出向きました。江戸っ子の雰囲気をもった横関さんは、すぐに親しく感じ色々と話をしたのですが、その中で、「五井先生にお会いされてどうでした」との問に、私が、「五井先生は不思議な方で、光が吹き出ていらっしゃるんですね」と答えると、「尾崎さんは随分霊的な人なんだね」と言われたわけです。
その話を聞いた途端、「へえ、私は霊的な体質なんだ」と初めて、自分が全く気付かなかった隠れた一面に気付かされたのです。

                 (略あり)

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大分略してますので、残りはコスモス会のHPが完成した際に、お読みください♪
遅くても、9月頃には出来てるはずです。

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2006/07/17

堺講演会&書のギャラリー

7月23日(日)、大阪の堺にあるソフィア・堺(中文化会館)で、父の講演会と書のギャラリーが開催されますので、お知らせします。

書のギャラリー(午後12:30~6:00)は一階で、講演(午後1:30~3:30)は、3階で行われます。

チラシはこちら

今回は大きいサイズの書をたくさん飾る予定です。

皆様のご来場をお待ちしております♪

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2006/07/15

浅原才市さんの言葉

浄土真宗で、在家の信仰生活をおくる、すぐれた念仏行者のことを「妙好人」といいます。

浅原才市さん(1851~1932)という有名な妙好人がいますが、今日は、私が好きな才市さんの言葉を紹介したいと思います。
(才市さんと阿弥陀様とのやりとりになっています)

「さいちよい。へ。たりきをきかせんかい。」
「へ。たりき、じりきはありません。
ただいただくばかり。」

「妙好人 鈴木大拙著」(法蔵館)より

ただいただくばかり!
阿弥陀様への、何という深い感謝に満ちた言葉でしょうか。

他力信仰者であろうと、自力信仰者であろうと、無宗教であろうと、そういったこととは関係なく、人間は誰しも、最初から一番大事な命を神様からいただき、この世界で生きる諸条件(空気や水、食料となる動物や植物など)を神様からただで与えられています。
更に一歩進んで考えると、人間の創造力や思考力といったものも、実は神様から与えられているものであると思います。
そのことに対する感謝が、宗教の根本であろうと思います。

才市さんは、こういう言葉も残しています。

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ありがたいな、ごをん(ご恩)、おもゑば(思えば)、みなごをん。

「これ、さいち、なにがごおんか。」

「へゑ、ごをんがありますよ。
このさいちも、ごをんで、できました。
きものも、ごをんで、できました。
たべものも、ごをんで、できました。
あしにはく、はきものも、ごをんで、できました。
そのほか、せかいにあるもの、みなごをんで、できました。
ちゃわん、はしまでも、ごをんで、できました。
ひきば(仕事場)までも、ごをんで、できました。
ことごとくみな、なむあみだぶつで、ござります。
ごをん、うれしや、なむあみだぶつ。」


「妙好人 鈴木大拙著」(法蔵館)より

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―世界にあるもの、みな阿弥陀様のご恩でできました。みな南無阿弥陀仏です。阿弥陀様ありがとうございます。―

才市さんの言葉を読むと、宗教というのは、単純素朴な感謝の心が一番大切なんだなぁ、と思えてきます。
中々、才市さんのように深く感謝できる心境にはすぐにはなれないですけども、少しづつ神様への感謝を深めてゆきたいと思っています。

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2006/07/13

父が書を始めた経緯

ココログ(私が使っているニフティのブログサービス)が、4日間ほどメンテナンス中だったみたいで、ここしばらく記事を投稿することができませんでしたが、今日終了したみたいです。

最近、ココログの管理画面で操作するのが、やたら重かったのが、無事解消されてました☆

さてさて、今日は、父が書を始めた経緯なんかを書いてみたいと思います。

050102_1613_1
父の書と生け花。
奥の書は、最初見たとき「飴」かと思いましたけれど、そうじゃなくて「龍」です。


父は誰かに書の書き方を教わったことはなく、全くの我流です。

せいぜい小学校の頃の習字の時間に教わった程度で、書いても、字が半紙をはみだしてしまうような、さっぱりの状態でした。

そんな父が書に関心を持ちだしたのは、五井昌久先生の書を、聖ヶ丘道場や白光の支部・集会所で見るようになってからでした。

五井先生にお会いしてから、父は様々な霊的な体験をするようになり、五井先生の掛け軸から、燦然と光が吹き上がってくるのも、はっきりと肉眼で見えるようになっていました。

以来、良寛さんや出口王仁三郎さんといった優れた宗教家をはじめ、色々な人の書を見るようになったそうですが、京都の霊山(りょうざん)歴史館で見た、西郷さんの書は、不思議な暖かい光が吹き出ていて、とても印象に残っているそうです。


父が書を始めたのは、46歳頃からです。
心の内奥から、「書を通して神様の命、本源世界を現せ」という天来の声が強く押し出してくるようになり、やり始めたそうですが、何せ、それまで書をまともにやったことがないわけですから、最初は、本当に下手な字だったそうです。

それでも、奥の神様が書を書かせようとしているのが、わかったので、結果を気にせず、神様に任せて、気楽な調子で書き続けたわけです。

「天奏家 尾崎元海の世界」というHPのタイトルにもあるように、天(内奥)から流れてくる神の命の響きを、書を通して奏でる、というのが父の書のスタイルです。

作品によって、強い光が一気に流れ込んでくる場合もあるし、柔らかい光が様々な調べで流れ込んでくる場合もある、と言います。
どういうことかというと、書によって、それぞれ異なる神様の光が通ってきているのです。

「私はどういう字を書く時でも、五井先生の称名(世界平和の祈り)に全てを委ねているわけで、あくまで書き手は肉体の私ではなく、浄めの神様であるので、書かされる私は、その度に浄められるわけで、実にありがたいことだと思っています」と、父は書を書くときの心境を語っています。

一点の想いのかけらも入らない作品を皆様に見ていただこうというのが父の念願です。
形だけ見たら下手かもしれませんし、変わっていると思えるものもあるでしょうが、それよりも生命の自在性が表現されており、人の魂を癒すことができれば、それで良しと考えています。

また、これからも新しい表現に色々とチャレンジすると思いますので、父の書のファンの方は、楽しみにしていて下さい♪

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2006/07/08

葉っぱ・竹筆・わら筆の書

今日は久しぶりに、最近父が書いた書を紹介しますね☆

今月23日の堺講演会で飾る用に書いたものです。


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「夢」
庭にあった葉っぱで書いたものだそうです。
面白い自然な味わいが出ています。

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「童心」
竹筆の書です☆
これまでの竹筆とは別のを使っていて、私が今年、大阪の梅田の大丸でやっていた「風水土のしつらい展」で見つけて、買ってきたものです。
今竹生(こんちくしょう)さんという(^^♪素敵な名前の方がこの筆の製作者です。


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もう一つ紹介。これはわら筆の書です。
「天恵」―天の恵みですね。

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2006/07/02

斉藤先生のこと

以前、斉藤先生の仏画を紹介しました。
斉藤先生は絵が全く下手だったのが、突然仏画を描けるようになったそうで、不思議に思って、五井先生にお聞きすると、「どんな絵の下手な人でも、神様が使えば、こんなに素晴らしい絵が描けるのだ、ということを皆に教えるために、神様があなたをお使いになったのですよ。あなたの画は、三人の神霊が描かせているのです。一人は古い時代の女性画家、一人は雪舟、もう一人はルネサンスの画家フラアンゼリコです。」とお答えになられたそうです。(以前紹介したのは、雪舟が描かせた絵だそうです)

また、斉藤先生は、大変な神癒の力があって、多くの人の病を癒されたそうで、何でもイエス・キリストを通して働いていた治癒の大天使が後ろについておられたそうです。
守護神は伝教大師だったそうで、色んな高級神霊が斉藤先生を通して働かれたわけです。

そんなすごい人が、一体過去世どんな立派な聖者だったのかと思えば、何でも、前世が盗賊の親分、前々世が海賊の親分だったそうで、村田先生が、五井先生の所に来たばかりの頃の斉藤先生を見て、「ああ、なんて業が深い人が来たんだろう。あの人は、二十回生まれ変わっても消えないような悪業を一杯持っている」と言った程だったそうです。
ちなみに母は、法話会で斉藤先生がその話をしているのを、直に聞いたことがあったそうですが、その場に村田先生もいらして、「斉藤先生、申し訳ありません」と謝っている姿が、とても可笑しかったそうです。(^^ゞ
ところが、そういう人が、病気や貧乏や様々な苦しみを全て過去世の因縁の消えてゆく姿であると、守護霊様・守護神様に感謝しつづけ、世界平和の祈りに全託したことで、業因縁をすっかり超えてしまい、まるっきり以前とは別人に変貌してしまったわけです。

頌春譜という斉藤先生の詩があります。

エッコラ ヤッコラ ドッコイショ 
どうやら ここまで きたけれど 
ドッコイ これでいいのかな

なんでもいいから もういちど
いのちを かけて とんでみろ!

いっさい がっさい きえた あと
のこった ものは ただ一つ

ひかり かがやく ごい せん せい
ごいせんせいは ありがたきかな
(白光出版 霊験巡講記 斉藤秀雄著より)


「一切合切消えた後、残ったものはただ一つ光り輝く五井先生」という言葉通り、実際に斉藤先生が集会で五井先生のお話をする際、何人かの人が、斉藤先生の顔が、髭の濃い、髪の毛のふさふさした五井先生のお顔に変わってしまう、という現象をはっきり見たそうです。
そのことに関して、五井先生は、「これから五井先生の熱心な弟子の中から、五井先生を語るとき、五井先生に変貌する者が増えてきますよ。斉藤さんは五井先生第一号ですね」と仰られたそうです。

斉藤先生の祈り一念の人生というのは、これからも、五井先生のみ教えを実践する多くの人たちの光明となり続けることと思います。

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