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2006年9月

2006/09/29

来年の書のカレンダー

今年はまだ3ヶ月ありますが、来年(2007年)の父の書のカレンダーが出来上がりましたので、お知らせします♪

Pict1821
一月「山水」

Pict1828
12月「光をもとめて」



話は変わりますが、次号の風韻誌が10月末に発売されますが、前回の8月号の在庫がまだ残っていますので、普及の方ご協力よろしくお願いします。
父が、五井先生に出会うまでの真理を求めての歩みや、霊的な体験談なんかも書かれているので、初めての人にも、興味深く読んでいただける内容となっていると思います。

人に渡したいけれど、経済的に何冊も購入する余裕がないという方には、5冊でも、10冊でも、普及用としてお渡ししていますので、どうぞ遠慮なくお申し出下さい。

それと、風韻誌に掲載する原稿は、随時募集していますので、五井先生のみ教えを実践しての体験談などございましたら、コスモス会事務局宛てにFAX等で送っていただけると幸いです。(メールででも結構です)

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2006/09/26

「幻の棟方志功」展

大丸ミュージアムKOBEで25日まで開催されていた「幻の棟方志功―大原美術館、クラレ秘蔵作品より―」展に行ってきました。

Munakata

大原美術館の創業者であり株式会社クラレの経営を担った大原孫三郎と、息子の総一郎は、日本民藝運動の支援者であり、棟方さんとも深い親交がありました。

上のチラシの緋鯉の屏風絵は、大原孫三郎の還暦祝いに描かれたそうですが、それにふさわしい、おおらかな、幸せな気分になる、実に立派な絵でした。
絵の中から、鯉が飛び跳ねて出てきそうな、元気な、瑞々しい生命力に満ち満ちた絵でした。幾人かの人達が「すごいねぇ」と、感嘆の声を上げていました。


菩薩が描かれた大原邸の襖絵が展示されていましたが、その絵を描いた際のエピソードが面白いものでした。
5人の菩薩で、仏の備える5つの智慧「情熱」「叡智」「寛容」「仁愛」「静謐」を現しているのですが、翌日の円遊会に間に合わせようと描いたところ、絵がさかさまになっているのに気づいて、マアマアの仕上がりだと満足していたのが一転、これは大変だということになったそうです。
結局、その日の夜の内に張りなおしたそうですが、何とも棟方さんらしいエピソードだな、とほほえましくなりました。
前に椅子があったので、座ってしばらく眺めていましたが、何ともいえず良い心地がしました。


大原美術館の外観を描いた絵の中に、初めて美術館を見た感想として、「ゴッホを初めてホンモノで見ましたがコレは弱いと思いました」と書かれていました。
このゴッホの絵は後に贋作の疑いがかけられ、今では撤去されているそうです。
「わだばゴッホになる」と言っていただけあって、さすがにゴッホを見る目は確かだったようです。

棟方さんの芸術は、仏教の他力の思想と密接に結びついています。
棟方さんは、アメリカで板画のレクチャーを行った際、このように自分の板画を説明したそうです。
「自力の考えに立てば、板画をつくるということになるのですが、他力の考えに立てば、板画はつくらなくても、仏様の力によって自然に生まれてくるのです。私は、彫りも刷りも余り上手ではない。下手な方なのだけれども、その下手なところは、仏様、つまり板画の神様が助けてくれる。私は幸せです。」

棟方さんは、視力が悪くて、左目は見えていませんでしたが、そのことでかえって、肉体の目の力に頼らず、内なる神仏の力にお任せして創作することができたのではないかと思います。

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2006/09/23

感謝と食事

どこの宗教でも感謝することの大切さを言いますが、自分の普段の生活を振り返ってみますと、いろんな面で、感謝の心が欠けていることに気づきます。

例えば、食事をする場合でも、野菜や動物の生命を頂くことによって日々生かされていることに感謝しないで食べることが多いです。

私たちを生かしてくれているあらゆる生命に対して「ありがとうございます」と深く感謝することは、世界平和の実現ということと、密接に結びついてくると思います。

五井先生は、ちょっと違ったかも知れませんが、こういう意味合いのことを仰っておられたと思います。
例えば、食事で豚肉を食べるとします。豚カツでもブタ汁でも何でも良いのですが、当然、一頭のブタのある一部分を食べて、残りは他の人が食べることになります。そこで、そのブタに感謝しながら食べると、そのブタのほかの部分を食べる、全く知らない人たちにも、光が流れていくんだ、というような話です。

これは先生ご自身がお食事をされるときのことをおっしゃられたのですが、私達の場合であってもそうだと思います。
個人と人類はつながっていて、個人がどういう心でもって行いを為すかが、世界人類に大きな影響を及ぼすと思います。
五井先生の感謝の心と、私の感謝の想いには、大きな開きがあるには違いありませんが、野菜や米や牛や鳥に感謝しながら、神様のいのちを頂くんだな、ありがとうございます、世界人類が平和でありますように、と祈り心でもって食事をすれば、その食材となった動植物を通して、多くの人たちに光明波動が伝わっていくことになると思います。

私達は、物質世界にいる以上、(食べるために)動物を毎日殺めないでは生きていくことができません。そこで、鳥さんありがとうございます、牛さんありがとうございます、世界人類が平和でありますように、という祈り心でもって食べることによって、毎日動植物の命を頂き、生存できているにもかかわらず、そのことに感謝せずに肉体の想いの満足だけを求めて生きている人類全体の業が大きく浄められていくことになると思います。

そのように考えると、その人の心境によって、日々の食事をするという行為が、世界平和を創造する光り輝いた行いになってくると思います。

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2006/09/19

フランスギャラリー開催!

16日(土)・17日(日)、コスモス会フランス支部で、父の書と会員の絵画等を展示するギャラリーが開催され、多くの方が見に来てくださいました♪
メールでギャラリーの様子の写真が送られてきたので、紹介します。


France3
右上の書は「道近くに在り」。

France4
「空即是色」 随分昔に書いた書かな?


France1_2   
↑コスモス会のメンバー、M女史が描いた油絵。
本人には無断で掲載。(#^.^#)

France6

Dsc00018_1
↑「世界平和」の書の下に、「世界平和の祈り」の祈り言葉を紹介した用紙を置いています。

来場者の方の感想を一部紹介すると、「すべての調和と深さに対して言葉が見つからない。またこの機会を再び作ってくださいますように(フランスのコスモス会のメンバーが開いているヨガ教室の生徒さん)」「生きることを助けてくれるとても強い静謐さを感じる。暖かいもてなしをありがとう」「とても気に入ったからまた来たいわ(8歳の女の子)」等々、好評だったようです。

ギャラリーを開いてくださった、ヨーロッパのメンバーの皆様、本当にありがとうございました。

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2006/09/12

最近の元海さんの書

最近の元海さんは、こんな書を書いております♪

Mei_1
「明」の象形文字です☆

Kaan_1
梵字「カーン」。「不動明王」の意です。


Takara_2  Musin_1
左は「宝」の象形文字。右は無心。

父の場合、小さな書より、大きな書の方が書きやすいそうです。
大きい書だと数秒ほどで一気呵成に書いてしまいますが、小さなサイズの書だと、何度もやり直して書いてますね。


ところで、今週末の16日(土)と17日(日)に、コスモス会フランス支部で、父の書のギャラリーが開催されます!
フランス支部は、ライン川を隔ててドイツと国境を接する、フランス北東部のアルザスにあります。
メンバーはたくさんいるわけではないですが、発足したのは10年以上前で、毎週集会を開き、五井先生の統一テープを用いて、世界平和の祈りをして下さっています。

それでギャラリー当日、フランス支部で、日本時間の午後5:30から10分間、ドイツ支部のメンバーも数名参加して、お祈りをするそうです。
日本でも、お時間が空いている方は、その時間帯に、世界平和の祈りと、ギャラリーに参加される方たちの天命完うのお祈りをしていただけると幸いです♪
よろしくお願いしますm(__)m

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2006/09/07

桃山の名碗展

来週の月曜まで、そごうの心斎橋本店で、桃山の名碗を展示する催しが開催されています。

このあいだ行ってきたのですが、唐物茶碗、高麗茶碗、志野・織部などの桃山の茶碗、長次郎・光悦らの楽茶碗、そして桃山の伝統を現代に受け継ぐ作家である、加藤唐九郎と楽吉左衛門(楽家の15代目)の茶碗が、一堂に展示され見ごたえがありました。


テレビで、この展示会のことを紹介していましたが、一碗で億を超えるものもある、と言ってましたね。あわわわわ・・・・(*_*)

「わび・さび」という美意識は、日本人特有なものなんでしょうか。西洋にはあまりないような気がしますが、韓国とか中国はどうなんでしょう。
当時日本を訪れた宣教師のルイス・フロイスは「ヨーロッパでは宝石や金銀を宝物とするが、日本人は古い、ひびわれた陶器や土器を宝物とする」といって、驚いたんだとか。
高麗茶碗は朝鮮半島で作られたものですが、それに高い精神性や美を見出したのは、日本の茶人だそうです。
一見平凡で地味に見えるものに、日本人は深い精神性を見出すんですね。

私なんかでも、こういった分野に詳しいわけでも、専門的な知識があるわけでは全くないですが、見ていて「何ともいえない味わいがあっていいなぁ」と、心に響いてくるものがやっぱりあります。

確か、五井先生は「わびさび」のことを、表面に(派手に)現れていない、霊的な雰囲気のこと、というような説明をされていた気がします。(ちょっと違ったかも知れません)


「夕陽」という銘の、その名の通り茜色の志野茶碗がありましたけども、写真で見て素晴らしいなぁ、と前から思っていたので、実際に見れて、感激でした。本当に美しく、品格がありました。
織部の茶碗でも、器の形が大きく歪められた、大胆な造形でありながら、「品格の高さ」というものを全く失っていないんですね。

一碗一碗をじっくりと見る時間がなかったのですが、長次郎も光悦も、唐九郎さんも、素晴らしかったです。改めて、日本の焼き物と日本人の美意識というのは、すごいなと思いました。

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2006/09/05

すべて消えてゆく姿

最近、お祈りをされるようになった方で、高橋英雄先生の「如是我聞」をまだ読まれたことがない方は、お薦めですので、是非一度お読みになってみてください。

高橋先生(白光真宏会・元副理事長)が、五井先生のお側にいて聞きとめた、五井先生が折にふれて何気なく仰られたお言葉を収録したものですが、五井先生の暖かなお人柄が伝わってくる様々なエピソードも収録されています。

「如是我聞」から五井先生のお言葉を一つ紹介します。


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個我のわたくし、肉体の私、というのがなくなればなくなる程、その人は立派な人である。
弱い私、善い私、悪いわたし、そういうものはない。
いいわたしもいる必要はない。悪い私も必要ない。
みんなわたしというのは渡しだから、渡すだけである。天に渡すだけである。
わたしを渡し、それで天の心に入ってしまえばいい。
そして光ごと降りてくればいい。そうすると光明体である。光になることが唯一のことなのだ。


(「如是我聞」 高橋英雄編著)

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「わたしというのは渡しだから、天に渡すだけである」という表現は、本当に五井先生はうまいこと仰られるなぁ、と思いました。
「いいわたしもいる必要はない」とはどういうことなのか、と思ったりするのですが、例えば五井先生は、具体的に次のようなことを「如是我聞」で仰っておられます。

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お役に立ちたい、お役に立ちたい、と思うのはいいことだ。しかし、そのよってくるところは何か。どこにあるのか。よく考えてみよ。自分を出したい、自分が・・・・・・というところにそれはありはしないか。お役に立ちたい自分もお役に立てない自分も消えてゆく姿なのである。そういう自分をなくすことが宗教の第一歩なんだ。
まず、自分は下座につくことだ。人に目立たずお役に立つことを心がけることだ。謙虚で明るく勇気をもってすることだ。そうしていると、自然に神様は役立たせてくれる。

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このお言葉なんかは、ホントにそうだなぁ、と肯かされます。
人のためなんて思って何かをやっていても、その裏では、他の人に自分をよく見せたい、よく思われたいという想いがあるのが、自分で感じられて、自己嫌悪に陥ることが、私自身よくありました。

それが、最近、いい自分も、悪い自分も、みな消えてゆく姿なのだということが少しづつ理解できるようになって、すごく気持ちが楽にりました。
真実に存在するものは、世界平和の祈りの大光明のみ。世界平和の祈りの中で光り輝く本心のみなのですね。

善い自分(想い)も、悪い自分(想い)も、一端はすべて消えてゆく姿と観じて、「世界平和の祈り」の大光明の中に投げ入れて、改めて神様(天)のみ心を頂きなおして生活していく、というのが五井先生のみ教えの特徴であると思います。

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