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2007年5月

2007/05/28

東京法話会と原稿募集

昨日の大阪法話会、全く初めての方も含めて、普段の本部道場の法話会には来られない方が多数参加して下さり、盛況でした。
大勢の方と世界平和の祈りをさせていただけることは本当にありがたいことです。

さて、東京法話会が6月3日(日)午後1:30~4:00に、武蔵野市民会館で開催されます。

今回は、2Fの講座室という部屋で、前回までと部屋が違いますので、お間違えのないようお願いいたします。

会場までの地図はこちらをご参照ください。

それと、6月25日前後に発売予定の、風韻誌7月号に掲載する原稿を現在募集しております♪
皆さま、御協力よろしくお願いいたします。
原稿締め切りは、来週末ぐらいまでです。

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2007/05/23

凡聖一如

人間の真実の姿は神の分霊(キリスト・仏性)であるとは全ての聖者が説いてこられた真理です。

しかし、「心身の神癒」のような聖者の言葉をそのまま伝えている本を読んでも、それだけで真理に目覚め、神の子としての姿を現せる人は、人類の中の本当の一握りの、よほど宗教的素質のある人だけではないかと思います。

人間が神の分霊であるという真理を頭で理解することと、実際に普段の生活の中で神のみ心を現していくこととは、別問題です。


イエスは、最初から地球人類を救うために地上界に降りてきた方で、元々、肉体身にまつわる業想念をあまり持ち合わせていなかったと思います。

同じ神の分霊であっても、イエスのような聖者と、何百回・何千回と輪廻転生を繰り返す中で、膨大な業を背負ってしまったような人とを、同じように考えることはできないと思います。

五井先生は、肉体人間の持っている業生の深さを、よくよく御存知だったからこそ、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」のみ教えを説いて下さいました。

「汝の敵を愛せよ」というイエスの言葉は全く真理そのものであり、実際にその言葉通り、イエスは全ての人を愛することができたのだと思います。

しかし、大抵の人は、自分と対立する人を愛することは中々できません。

その人との関係は今生だけのものではありません。
過去世において、散々その人にいじめられたり、酷い目に合わされたりした場合、恨みや怒りの想いがたくさん潜在意識に蓄積されてしまっているので、どうしても縁に触れて、それらの想いが消えてゆく姿として現われてきます。

私たちは人を悪く思ってしまった場合、その想いのまま、「ああ、これでお互いの因縁が消えてゆくんだ。守護霊様ありがとうございます。世界人類が平和でありますように」と祈りの中に入りなさい、と五井先生より教わっています。

そうすれば、その人を悪く思う想いが浄められるのと同時に、自分が愛せないぶん、守護霊様・守護神様の愛の光が相手に流れていくのだと思います。

「凡聖一如」という言葉がありますが、業生をまとった凡夫が、神の子としての尊い働きをさせていただけるのが、五井先生のみ教えの本当にありがたいところではないか、と思います。

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2007/05/21

善悪二元論

皆さまはゾロアスター教という宗教を御存知でしょうか?
古代イランで生れた宗教で、善悪二元論を特徴としています。
ニーチェの著作であり、クラシックの曲にもなっている「ツァラトゥストラはかく語りき」の、ツァラトゥストラとは、ゾロアスターのことです。
(父はゾロアスターのことを、超能力者・霊能力者と言っていました)

宇宙の法たる神・アフラ・マズダーを主神として、アフラ・マズダーに従う善神と、それに背く悪神がいて、人間は自らの意志で善悪どちらかの側に立つことができる。善の勢力と悪の勢力が争い、最終的に善の側が勝利する―このゾロアスター教の善悪二元論の思想は、ユダヤ教やイスラム教、キリスト教に大きな影響を与えました。

イエスさんは「人間はみなキリストであり、神のみが実在する」という神一元論を説いたはずなんですけれども、神と対抗して、悪なるものが存在するという思想が現在のキリスト教には入り込んでしまっています。

「心身の神癒」でイエスは、「悪」についてこう説いておられます。

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第一話―74
あなたたちは自分たちの物質的感官世界で、善にも悪にも同じ力があるように見せかけてしまっている。
しかし、これは人間的感官による理屈づけであって実在の真理ではないのである。

第一話―75
神には善とか悪とかいうものはなく、神は今の今完全無欠に現われてい給う。
もし、あなたたちが偏在し給う神が善であるといい乍ら悪も又存在するというのであれば、あなたちの理論は間違っている―偏在する善の中にいかにして悪が存在しえようか。

第一話―76
考え違いが悪の存在を信じ込ませるのである。
理屈を立てずに、神の愛があなたたちを通して現われるに任せよ。
そうすれば恐れを抱かしめるもの、真実の表現を妨げるものは本来の無となって解消しさるであろう。―略―
なぜならばそれ(悪)は偏在している神の中には存在しないし、又存在しえないからである。

「心身の神癒」(マクドナルド・ベイン著/霞ヶ関書房)より引用

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「真実の表現を妨げるものは本来の無となって解消しさるであろう」―これはまさに消えてゆく姿の教えですね☆

神様の中には悪は存在していません。
悪が存在しないのだから、悪と争い対立するような善も、神様の中には存在していません。
この世の相対的な善悪というのは、すべて消えてゆく姿であると思います。

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2007/05/19

人間の本当のもの

陶芸家の寛次郎さんの残された言葉を一つ紹介します。

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人はその人が出した最高なもので評価されなければならない
まずいものはその人のほんとうのものではないから―人間全体のほんとうのものではないから
ほんとうでないものは その人にも人間にもいらないものであるから

(河井寛次郎の宇宙 講談社)

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寛次郎さんは、人間の神性を讃えることに徹せられました。
寛次郎さんの言葉が心を打つのは、実際にその言葉通りのことを日々の生活の中で実践されたからです。


私は、寛次郎さんのように、他人をその人から出た最高のもので評価するということが中々できなくて、つい悪い部分の方に把われてしまうことがあります。

しかし、たとえ人の悪い部分を見て、非難する想いが沸いてきても、それがその人の本当の姿だとは思いません。

まずいものは、その人の神性を覆っていた業想念が現われて消えてゆこうとしているのであって、その人の本心は光り輝いているのだと信じることができます。

そのように思えるというのは、本当に幸せなことです☆


河井寛次郎記念館のサイトがありますので、「どんな人なんだろう」と興味をお持ちの方は是非ご覧下さい♪

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2007/05/14

縁者の浄まり

人間というのは、あちらの世界にいる多くの縁者(自分と縁のある方たち)の波の影響を受けているのだそうです。

「世界平和の祈り」を祈ると、その人に関連する多くの縁者が浄まり、高い世界に昇っていって、救われの世界に入っていかれるのだと聞いています。
そうすると、その人自身の宗教の癖・臭みが徐々になくなっていき、明るく浄らかな人格に変わってゆくそうです。


例えば宗教の教えを頭だけで解釈しようとして、「ああでもない。こうでもない」といつも迷った想いでいるような人がいるとします。
それと同じように、頭だけで真理を理解しようとして、悟ることができずに迷っている人があちらの世界にいっぱいおられるわけです。

個人の幽体というのは、人類全体の幽界というのと繋がっていますから、類は友を呼ぶではないですが、同種の迷いの波長が一杯寄ってきてしまうわけです。

だから、その人個人の消えてゆく姿だけではなくて、多くの縁者の方の悩み苦しむ想いが、その人を通して浄められているということが結構あるみたいですね。


うちの会でも、5年・10年・20年と祈り続けるうちに、色んな宗教の癖や迷う想いがなくなって、安心立命を得られた方がたくさんいらっしゃいます。

それは単にその人一人が変わったのではなくて、五井先生の大光明によって、多くの縁者が浄まり、真の救いの道に入っていかれたのだと思います。


五井先生は、「皆さんあちらの世界に行ったら、多くの人たちから救っていただいてありがとうございます、と感謝されますよ」という旨のことを仰っておられたと記憶しています。
「いつのまにこんな人を救ったんだろう」と思ったって、世界平和の祈りを祈っている私たちは、知らない間に、多くの人を救う働きをさせていただいているんですね(*^_^*)

自他が同時に救われてゆく、本当にこんなありがたい教えはないと思います。

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2007/05/13

大阪法話会のお知らせ

2週間後に開催されます大阪法話会のお知らせです。

日時   5月27日(日) 午後1:30~4:00
会場   エル・おおさか(大阪府立労働センター)7階708号室
参加費  1000円

100名収容の大きな室のようですので、多くの方にお越しいただけたらと思います。

会場までの地図はコスモス会HPの行事案内からご覧下さい。

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融通念仏と世界平和の祈り

念仏といえば、法然や親鸞、蓮如、一遍といった人たちがすぐに思い浮かびますが、平安時代後期の尾張国出身の僧で、良忍(りょうにん)上人という人がいます。

良忍上人は「一人の人の唱える念仏が他の全ての人の念仏と通じ、一人の人の善行が他の人の善行とお互いに融通しあって、全ての人が浄土に往生できる」と説いたので、上人が開いた宗派を「融通念仏宗」と呼びます。

「自分ひとりが救われる(悟る)のではなく、ひとりの念仏(善行)が他の全ての人に通じ、お互いに影響しあって、すべての人が救われていく」という上人の思想には、大変惹かれるものがあります。
一般にはそれほど有名ではないですが、後の一遍にも影響を与えたといわれ、日本の仏教史において、大きな役割を果たされた人ではないかと思います。
おそらく上人は、今は救世の大光明の中で、世界平和実現のために、大きな仕事をされているのでしょうね。きっと。

五井昌久先生の提唱された「世界平和の祈り」は、個人と人類が同時に救われていく道(個人人類同時成道)であり、良忍上人の「融通念仏」の思想と合い通じるものがありますね。

「世界人類が平和でありますように」と祈ることで、自分の周りにいる人たちはもとより、アメリカであろうと、北朝鮮であろうと、アフリカであろうと、世界中のあらゆる人たちに、救世の神々の光が流れていくことになります。

また、それとは反対に、「世界平和の祈り」を祈る人は、世界中に何万人といるでしょうから、その人たちの祈りの光が私のところにも流れてきているのだと思います。(そんなことを普段、あまり意識したことはありませんが・・・)

そもそも「救世の大光明」とは、大神様を中心として、イエス、老子、釈迦、法然、親鸞、あらゆる歴史上の聖者・神々が集った救世の大光明霊団の光なのですから、膨大な数の神々の光が私達の体を通して流れていっていることになります。

そう考えると、「世界平和の祈り」はホントにすごい!と思うのです。

個人と人類、人類と神々の祈りの光がお互いに融通しあって、地球上の業が大きく浄まり、平和世界が築きあげられていくのですね。

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2007/05/06

尾崎元海の書・新作3

お待たせしました。
指の書の新作です。

Izumi
「泉」
これまでの指の書と違って、2本の指で書いています☆


Yume
「夢」


書によっては50枚ぐらい書いても、気に入るのが書けずに全部捨ててしまうこともあるそうですが、この指の書はすぐ書けたと言っていました。

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2007/05/02

尾崎元海の書・新作2

もう何点か尾崎元海氏の新作の書を紹介します♪

Kami
「神」の古い字体です。


Kou
わたくし晃久の「晃」です(^^ゞ

漢和辞典で調べたら、「晃」は、光が四方に広がり出るという意らしいです。初めて知りました。

「晃」は「日」と「光」に分かれますが、「光」は「火+人」の会意文字です。
上のチューリップの花みたいのが、きっと火を象った部分だと思います。

今は、指の書を書いているところです。
面白い味わいが出た作品になっていると思います。
後日、画像をUPできると思います。

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