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2007/05/23

凡聖一如

人間の真実の姿は神の分霊(キリスト・仏性)であるとは全ての聖者が説いてこられた真理です。

しかし、「心身の神癒」のような聖者の言葉をそのまま伝えている本を読んでも、それだけで真理に目覚め、神の子としての姿を現せる人は、人類の中の本当の一握りの、よほど宗教的素質のある人だけではないかと思います。

人間が神の分霊であるという真理を頭で理解することと、実際に普段の生活の中で神のみ心を現していくこととは、別問題です。


イエスは、最初から地球人類を救うために地上界に降りてきた方で、元々、肉体身にまつわる業想念をあまり持ち合わせていなかったと思います。

同じ神の分霊であっても、イエスのような聖者と、何百回・何千回と輪廻転生を繰り返す中で、膨大な業を背負ってしまったような人とを、同じように考えることはできないと思います。

五井先生は、肉体人間の持っている業生の深さを、よくよく御存知だったからこそ、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」のみ教えを説いて下さいました。

「汝の敵を愛せよ」というイエスの言葉は全く真理そのものであり、実際にその言葉通り、イエスは全ての人を愛することができたのだと思います。

しかし、大抵の人は、自分と対立する人を愛することは中々できません。

その人との関係は今生だけのものではありません。
過去世において、散々その人にいじめられたり、酷い目に合わされたりした場合、恨みや怒りの想いがたくさん潜在意識に蓄積されてしまっているので、どうしても縁に触れて、それらの想いが消えてゆく姿として現われてきます。

私たちは人を悪く思ってしまった場合、その想いのまま、「ああ、これでお互いの因縁が消えてゆくんだ。守護霊様ありがとうございます。世界人類が平和でありますように」と祈りの中に入りなさい、と五井先生より教わっています。

そうすれば、その人を悪く思う想いが浄められるのと同時に、自分が愛せないぶん、守護霊様・守護神様の愛の光が相手に流れていくのだと思います。

「凡聖一如」という言葉がありますが、業生をまとった凡夫が、神の子としての尊い働きをさせていただけるのが、五井先生のみ教えの本当にありがたいところではないか、と思います。

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コメント

ありがとうございます。

確かに、毎日の生活の中で、「うわ、どうしよう・・・」「苦手だな・・・」という出来事や人と出会います。

でも、「消えていく姿で世界平和の祈り」の教えを知り、実践できるときに、実践することを繰り返す中で、いろいろなことが好転し始めていることを、実感しています。

五井先生と出会えたことを感謝しています。

出会っていなかったら、今頃私はとんでもないところにいたと思います。

守護霊様、守護神様、五井先生ありがとうございます。

投稿: つるたろう | 2007/05/24 12時21分

五井先生のみ教えと出会えるというのは、本当に、守護霊様・守護神様のお導きの御蔭であると思います。
それと同時に、過去世において、色々と宗教的に道を求めていた善因縁があるからこそ、五井先生と出会うことができるのでしょうね☆

投稿: 晃久 | 2007/05/28 23時13分

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