2013/11/29

2014年 コスモス会新年祝賀法話会

来年2014年の、コスモス会「新年祝賀法話会」のお知らせを致します。

日時:2014年1月12日(日) 午後1:00~3:30
参加費:1000円
会場:芦屋市民会館 3階多目的室

兵庫県芦屋市業平町8番24号
                  (芦屋市民センター本館内)

【交通案内】
JR神戸線「芦屋」、阪急神戸線「芦屋川」、阪神「芦屋」各駅より徒歩約5分

【内容】新年の祈り、担当者による挨拶、支部・集会所の紹介、
     元海先生の法話、五井先生の聖歌斉唱、他。

※新年祝賀法話会の会場が、これまでとは変更されています。お間違えの無いようご注意ください。

多数の方のご参加をお待ちしています。

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2012/03/06

コスモス会公式サイトリニューアル

コスモス会公式サイトが先月2月に、リニューアルOPEN致しました。

「会の概要」「元海先生法話」「会員の文章」「集会所の案内」等、幅広くコスモス会の活動を紹介していく予定です。

是非ご覧下さい。

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2007/10/14

清盛と尊氏のこと

以前、テープで五井先生のご講話をお聞きしていましたら、歴史上の人物評価は丸呑みにできないということで、平清盛のことをお話されていました。
清盛は平家物語で、非常に悪く描かれていますが、五井先生は「私たちが歴史で教わったような悪人じゃないですよ。すごい智恵も勇気も力も持ってます」と評されていました。
五井先生が歴史を見てると、善い人が悪い人となっていたり、悪い人が善い人になっていたりして、「あー、反対のこと書いてあるな」と思うことがよくあるそうです。

続けて足利尊氏と楠木正成のこともお話されていました。
戦前は国家主義的な歴史観から、正成の方は忠臣として尊敬され、尊氏の方は天皇に弓をひいた逆賊という評価がされていました。
しかし、五井先生は「足利尊氏は、楠木正成と比べてどっちが立派かわからないぐらい、すごい立派な人だ」と評されていました。
五井先生は「楠木正成は素晴らしい神界にいる」と別の話でされていましたので、尊氏も同じく神界にいるのでしょう。

この世は相対的な世界ですから、どちらかの側に立って、こちらが良くてこちらが悪いと勝手に決め付けてしまうことがよくあります。

自分の身近にいる人でも、自分に都合の良い人は良い人で、自分に都合の悪い人は悪いと判断してしまうことがあります。
しかし、自分には良くしてくれる人でも、他の人たちには迷惑ばかりかけていて、感心しない生き方をしていることもあります。
反対に、自分と対立する立場にいる人であっても、社会に大きく貢献している立派な人物かもしれません。

歴史の人物評価が当てにならないのと同じように、私たちの他人をあれこれと評価する想いも、必ずしも正しいとは限りません。
五井先生のように、自我想念が全くない、透き通った心でないと、人を正しく観、判断することはできないと思います。

そうなるためには、やはり、全ての想いを消えてゆく姿にして、神様にお返し続けなければいけませんね。

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2007/08/13

五井先生の書

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高殿道場に飾っている五井先生の御書です。(直筆です)

我が筆は我れが運ぶにあらずして天(あめ)の心を文字にうつせる
(五井昌久歌集 冬の海 白光出版 より)

五井先生の書をじっと眺めていると、心が安心感に満たされてきます。
意識が懐かしい魂の本源の世界に引き戻されていくような感覚になります。

この書は単に過去に書かれたものではなく、今現在、五井先生がこの書を通して道場に来られる人たちに光を絶えず流し続けてくださっておられるのだと思っています。

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2007/07/13

神性を見出す

ヨガ・ナンダの「あるヨギの自叙伝」の中に、このようなババジのエピソードがあります。

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「それはアラハバードにおけるクンバメラのときだった」
ラヒリ・マハサヤは語られた。

「私は役所の休暇を利用してそこに出かけた。おおぜいの僧侶や行者たちが、この聖なる祭に参加するために、遠方から集まって来ていた。
彼らの群れにまじって、私が歩いていると、からだに灰を塗りつけ、髪をぼうぼうにして托鉢の椀を手にした一人の行者が目にとまった。
ふと私の心に、この男は世を捨てた隠者の身なりはしているが、心の中はまるきり俗臭に満ちたにせものではないかという思いが湧いてきた。
ところが、その行者のそばを通り過ぎようとしたとき、薄ぎたないその男の足もとにババジがひざまずいておられるのを見て、わたしはびっくりしてしまった。
『大師よ。』私はババジのそばに駆けよった。
『こんなところで何をしていらっしゃるのですか』
『私はこの行者の足を洗い、それからこの食器を洗ってあげるのだ』
ババジは、私に向かって子供のようにほほえまれた。
私はババジがわたしに、人を批判することなく、どんな愚かな人の中にも等しく宿りたもう神を見よ、と暗に教えておられるのだと悟った。
ババジはさらにこうおっしゃった。
「私は賢い行者にも、愚かな行者にも、等しく奉仕することによって、神に最もよろこばれる最高の徳―謙譲の徳―を学んでいるのだ」

(パラマハンサ・ヨガナンダ著 「あるヨギの自叙伝」 森北出版刊より)


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ババジ(尊い父の意)は、普通の人間のように肉体の母親から生れたのではなく、霊体をそのまま肉体化して現れたヒマラヤの大聖者であり、数千年にわたって肉体身を保持しておられました。
五井先生は、中国の老子がインドでババジという名で現れたのだと仰っておられました。
(老子は、白髪三千丈の翁といったイメージがありますが、ババジは肖像画を見ても、30歳ぐらいの美しい青年の姿をしております。)

「人の内なる神性(仏性)を拝みなさい」ということを多くの宗教で言います。
言葉で言うのは簡単ですが、聖者は言葉だけでなく、実際の行いによって真理を伝えられます。
五井先生もそうでした。

私は、ふと、ババジとこの行者のエピソードが、守護霊・守護神さまと現在の人類の関係を象徴しているかのように思えました。
守護霊様・守護神様は、業想念に厚く覆われた人間の中に、光輝く神性を常に見い出してくださり、汚れた体をいつも洗い浄めて、奉仕して下さっているのです。

神のみ心に大きく外れている人を見ると「嫌だなぁ」という感情が正直湧いてきます。
全くの赤の他人ならともかく、自分の身近にいる人であれば、尚更そう感じるかもしれません。
しかし、そう感じれば感じるほど、「こんな人を守っている守護霊様の愛は何と深いものであろうか。本当に有難いことだ」とも感じます。

すべての人間の中に神性を見出し、守り導いてくださっている、守護霊様・守護神様・五井先生の愛には、感謝しても感謝しきれるものではありません。

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2007/06/29

五井先生が説く守護霊

私の父が、コスモス会が発足する前、人生相談をやっていた頃の話です。

その当時、人生相談に来られていた人たちみんなに、宗教的な話をするわけではなかったのですが、ある外国人の方が来られた際、父が何気なく「人間には守護霊様が守っているからね」と言ったそうです。
それに対してその方が「そうですね」と答えたとたん、ゾッとするような嫌な波が伝わってきたそうです。

それで、「何か宗教をやってらっしゃるの」と聞いたところ、「○○さん(本がよく売れている某有名宗教団体の教祖)のところに行っています」という答えでした。

その団体でも守護霊ということを言うそうですが、そこでの守護霊の説明は、五井先生が説かれた守護霊様とは全く異なるものです。
その教祖はあまり感心できない人で、勿論本当の守護霊様がどういった存在か判ってはいないわけです。

おそらく、その人が守護霊と思う場合は、その団体の教祖に意識が向くと思うのですが、その場合、その教祖・団体にまつわる業の波が寄って来てしまうわけです。


私たちが守護霊・守護神を思うときは、当然五井先生に意識が向きます。
五井先生は神界の奥の奥にいらっしゃるのですから、五井先生を思うと、スッと守護霊様・守護神様の高い響きの中に溶け込むことができるわけです。

そういうことを考えますと、五井先生が私たちに守護霊様と一体となって生きる道を教えて下さったのは、本当にありがたいことだとつくづく感じます。

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2007/06/14

続・如是我聞より

最近、「続・如是我聞」を読んでいて、この五井先生の言葉がとても心に響きました。

「私はここ百年、2百年間のことより永遠の生命をつねに見つめ考えている。百年、2百年のことは大体決まっているようなもので、それが地に現われてくるのである。
だから目先のことに一喜一憂することはないのだ。
一喜一憂しなくなると、脚下照顧となって、一日一日が大切になってくるのである。」

(続・如是我聞  高橋英雄編)

この文を読んで、肩の力が抜け、肉体の力みから解放されるような、安心した気持ちになりました。

きっと、神様は私たちの本心を開かせて天命完うの方向へ導き、世界を平和にするための計画を100年・200年単位で、立てておられるのだと思います。

だから悠々とした気持ちで、神様に全てお任せして生きていけばいいのですが、肉体人間は、本当にせっかちで、目先のことばかりにとらわれて、一喜一憂してしまいます。

ここ百年、2百年のことは神様の世界では、大体決まっているのだから、自分のことも、世界情勢のことも何も心配することはないのですね。

もっと気を長くもって、一日一日の祈りの生活を大事にしなきゃいけないですね(*^_^*)

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2007/06/09

三界の波を超える

今、本屋に行くと、様々な宗教団体やスピリチュアル関連の本がたくさん置かれていますが、神界や霊界の上層といった高い世界のひびきを通せているものは、全体の割合からいうと、少ないだろうと思います。

中には幽界波動の影響を受けているものもありますが、霊界の下層から中層の真ん中あたりにいる人たちが、良かれと思って、こちらの世界の波長の合う人たちに働きかけてくる場合もあるそうです。

霊界の中層の真ん中から下というのは、まだ三界であって、真実の悟りを得ていない世界です。

現在、流行っている精神世界関連の人やグループには、そういった世界の波の影響を受けているものが割とあるそうです。

良い想いも悪い想いも含めた、全ての三界の波が浄まらないと、神界の大調和した世界はこの地上には映し出されません。
それを実現しえる最大の方法が、五井先生の「消えてゆく姿で世界平和の祈り」であると思います。

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2007/05/23

凡聖一如

人間の真実の姿は神の分霊(キリスト・仏性)であるとは全ての聖者が説いてこられた真理です。

しかし、「心身の神癒」のような聖者の言葉をそのまま伝えている本を読んでも、それだけで真理に目覚め、神の子としての姿を現せる人は、人類の中の本当の一握りの、よほど宗教的素質のある人だけではないかと思います。

人間が神の分霊であるという真理を頭で理解することと、実際に普段の生活の中で神のみ心を現していくこととは、別問題です。


イエスは、最初から地球人類を救うために地上界に降りてきた方で、元々、肉体身にまつわる業想念をあまり持ち合わせていなかったと思います。

同じ神の分霊であっても、イエスのような聖者と、何百回・何千回と輪廻転生を繰り返す中で、膨大な業を背負ってしまったような人とを、同じように考えることはできないと思います。

五井先生は、肉体人間の持っている業生の深さを、よくよく御存知だったからこそ、「消えてゆく姿で世界平和の祈り」のみ教えを説いて下さいました。

「汝の敵を愛せよ」というイエスの言葉は全く真理そのものであり、実際にその言葉通り、イエスは全ての人を愛することができたのだと思います。

しかし、大抵の人は、自分と対立する人を愛することは中々できません。

その人との関係は今生だけのものではありません。
過去世において、散々その人にいじめられたり、酷い目に合わされたりした場合、恨みや怒りの想いがたくさん潜在意識に蓄積されてしまっているので、どうしても縁に触れて、それらの想いが消えてゆく姿として現われてきます。

私たちは人を悪く思ってしまった場合、その想いのまま、「ああ、これでお互いの因縁が消えてゆくんだ。守護霊様ありがとうございます。世界人類が平和でありますように」と祈りの中に入りなさい、と五井先生より教わっています。

そうすれば、その人を悪く思う想いが浄められるのと同時に、自分が愛せないぶん、守護霊様・守護神様の愛の光が相手に流れていくのだと思います。

「凡聖一如」という言葉がありますが、業生をまとった凡夫が、神の子としての尊い働きをさせていただけるのが、五井先生のみ教えの本当にありがたいところではないか、と思います。

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2007/05/19

人間の本当のもの

陶芸家の寛次郎さんの残された言葉を一つ紹介します。

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人はその人が出した最高なもので評価されなければならない
まずいものはその人のほんとうのものではないから―人間全体のほんとうのものではないから
ほんとうでないものは その人にも人間にもいらないものであるから

(河井寛次郎の宇宙 講談社)

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寛次郎さんは、人間の神性を讃えることに徹せられました。
寛次郎さんの言葉が心を打つのは、実際にその言葉通りのことを日々の生活の中で実践されたからです。


私は、寛次郎さんのように、他人をその人から出た最高のもので評価するということが中々できなくて、つい悪い部分の方に把われてしまうことがあります。

しかし、たとえ人の悪い部分を見て、非難する想いが沸いてきても、それがその人の本当の姿だとは思いません。

まずいものは、その人の神性を覆っていた業想念が現われて消えてゆこうとしているのであって、その人の本心は光り輝いているのだと信じることができます。

そのように思えるというのは、本当に幸せなことです☆


河井寛次郎記念館のサイトがありますので、「どんな人なんだろう」と興味をお持ちの方は是非ご覧下さい♪

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